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2022 NO.33

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日本の文学を旅する

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人形浄瑠璃
人形芝居が紡ぐ物語

人形浄瑠璃は、能と歌舞伎と並ぶ、日本の3大伝統芸能のひとつだ。
人形芝居で物語を表現する芸は江戸時代に生まれ、今に受け継がれている。

写真●栗原 論

「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」における親子の再会の場面

人形を動かす人形遣いは、黒衣と頭巾の目立たない衣装で舞台に上がる

太夫と呼ばれる演者がストーリーを語り、弦楽器の三味線が音で情景を描き、それに合わせて、まるで生きているかのように人形が動く。3者の息がぴったりと合い、物語が生み出される日本独自の総合芸能が、人形浄瑠璃だ。

その源流は、音楽に合わせて物語に節をつけて語る「語り物」にある。当初は琵琶や扇拍子が使われたが、16世紀に三味線が登場して「浄瑠璃」が成立。さらに17世紀の大阪で人形劇と融合することで、人形浄瑠璃が誕生した。人形劇と聞くと、子ども向けの内容を想像するかもしれない。しかし、人形浄瑠璃の演目は、歴史上の物語や事件を題材にしたもの、さらには、現代に受け継がれる名作『曽根崎心中』などに代表される男女の恋愛や、親子の情愛などを題材にしたものが多く、大人が楽しめる娯楽として発展してきた。

人形浄瑠璃はやがて発祥地・大阪から地方都市にも広がり、各地で上演されるようになる。中でも四国地方の徳島県は、江戸時代から多くの人形座(劇団)がつくられ、神社の境内に公演用の野外劇場が設けられるなど、人形浄瑠璃が盛んだ。現在も20以上の人形座があり、徳島市内の阿波十郎兵衛屋敷では、ほぼ毎日公演が行われている。

おもに上演されるのは、当地で起こったお家騒動を題材に、親子の情愛を切々と描いた物語だ。親子が再会する場面で、人形が肩を小刻みに震わせ、うつむいた顔にそっと手を当てる演技は、本当に涙を流していると錯覚してしまうほど真に迫っている。こうした表現を可能にしているのは、1体の人形を3人で操るという、世界でもほかに例を見ない手法にある。頭と右手、左手、足を動かす役割を分担することで、滑らかな人間らしい動きとなり、仕草や心情を細やかに表現できる。ここに、太夫の抑揚ある語りと、三味線の余韻のある響きが加わる。声と音、そして人形の動きが一体となった美しい人形芝居の世界が繰り広げられるのだ。

人形浄瑠璃は、徳島県だけでなく全国で公演が行われている。人形芝居によって紡がれてきた、人間の内面を細やかに描く物語を味わってほしい。

舞台横の床と呼ばれる場所で、太夫と三味線弾きが演奏する

阿波十郎兵衛屋敷の舞台上方には、語りの字幕が日本語と英語で表示される

阿波十郎兵衛屋敷では、人形浄瑠璃の資料なども展示されている

徳島県の拝宮農村舞台。年に一度、市民が集まり、野外公演が行われる