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2022 NO.32

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木がつなぐ日本の文化

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時代を超えて受け継がれる
伝統建築工匠の技

日本における木造建築の文化を支えているのは、伝統を継承する職人の手仕事。ユネスコの無形文化遺産にも登録された、技術の粋をここに見る。

写真●川辺明伸

日本で最初の官寺として創建された四天王寺。20世紀初頭の再建にも、金剛組が携わっている(写真=PIXTA)

棟梁の木内さん(左)と金剛組会長の刀根さん。旗は番匠器(ばんしょうき)と呼ばれ、鉋(かんな)、のみ、のこぎりなどの大工道具の絵で表した「南無阿弥陀仏」(仏教における念仏)が記されている

1400年の歴史を受け継ぐ大工の技

日本では、神社仏閣の建築や修復は、「宮大工」という専門の職人によってなされる。大阪市にある金剛組は、日本を代表する宮大工集団で、593年に建てられた四天王寺の造営に携わったのが起源とされることから、世界最古の企業としても知られている。

金剛組に所属する木内繁男さんは、50年以上のキャリアを持つ大ベテラン。棟梁として若い宮大工を束ねる立場だ。木内さんが鉋を扱うと、削った木くずは薄いリボンのようにするすると伸びていく。木材を紙よりもはるかに薄く削る技は、長年の修業の賜物である。

社寺建築で最も重要とされる技術のひとつが、釘や金物を使わず木と木を隙間なくつなぎ合わせる「木組」と呼ばれる伝統工法だ。金属の腐食による木材の破損が少なく、また木のつなぎ目が振動でかかる力を吸収・分散させるために、地震にも強い。

「木組のおもな技法に、材木をつなげて長い柱や梁をつくる『継手』や、梁や柱が直交する部分を組み合わせる『仕口』があります。木材の強度や建物の意匠によって、さまざまな方法を使い分ける必要があり、技の数は200を超えます」と、木内さんは語る。

宮大工は、木の特性を熟知しておくことはもちろん、木材を切り出す技術や、日本文化に関する知識にも通じていなければならない。そのため、一人前になるには10年以上の時間を要するという。

近年は、宮大工を志す若者が減り続けており、次世代の育成が大きな課題になっている。だが、「単に技術だけを教えればいいわけではないのです」と言うのは、金剛組会長の刀根健一さん。

「我々が手がけているのは、仏様、神様がいらっしゃって、地域の人たちが大切にしていく建物。社寺建築に込められた人びとの思いを汲み取ることも、宮大工には求められるのです」

① 鉋を使い、木材の表面を削る
② のみを少しずつ入れ、曲面をつくりだす。加工はすべて手仕事で行われる
③ 木内さんの大工道具。鉋やのみ、かなづちなど、用途に合わせて何種類もの道具を用意している

上:模型を使い、継手について解説する木内さん
下:片方の木材の先端を尖らせ、もう片方の木材は先端がぴったりとはまるように削られる

梁や柱が交わる部分を接合する仕口の工法。厳重に寸法を取った木材の面や角度を複雑に組み合わせることで、強度のある建築が生まれる