2019 NO.28

東京を食べつくす!

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江戸から続く和食の文化

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江戸時代(1603~1868)は庶民が美食に目覚め、さまざまな料理店が登場し、料理が洗練された時代。
今日の東京の食文化の繁栄につながる礎が築かれた。

談話● 原田信男 撮影● 大山裕平 写真● PIXTA

季節ごとの新鮮な食材を使い、栄養バランスにも優れ、盛りつけにも心を配る。そんな日本の料理文化が花開いたのが江戸期です。徳川将軍家により安定的な統治が続いていたこの時代には、大規模な都市計画が進められるとともに、陸路と海路の流通網も整備されました。将軍のお膝元である江戸(現在の東京)には全国各地から特産品が集まりました。とりわけ、街道の起点であり海からの荷揚げ場であった日本橋は物資の集積地として繁栄し、魚を販売する魚河岸は多くの人で賑わったといいます。

また、物資とともに多くの人も流入した江戸は、18世紀前半には人口100万人を超える大都市へと成長しました。市中には武士や奉公人、出稼ぎにきた商人や日雇い労働の職人などがあふれ、その多くが独身男性だったことから外食の需要が高まりました。彼らの腹を満たしたのが移動式の屋台でした。加熱調理した料理をさっと食べさせる手軽さが人気を呼んだようです。その後、小規模な料理屋や居酒屋へと形を変えていき、江戸の町にはさまざまな店が立ち並ぶようになりました。

また、富裕な町人層に向けた高級料亭が出現し、句会など趣味の会合を開く文化的な社交の場として発展していきます。腕利きの料理人がふるまったのは、本膳料理と呼ばれる儀式的な食事を酒宴に合わせ簡略化した「会席料理」でしたが、この形式は、現代の料亭や旅館などで供される食事に連綿と受け継がれているといえます。

江戸時代後期の日本橋・魚河岸のにぎわい。タイやタコやアワビを担ぐ姿が見える
歌川国安「日本橋魚市繁栄図」(部分)