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2019 NO.28
東京を食べつくす!

江戸から続く和食の文化
特産物の流入と外食文化の広がりの中で生まれたのが、現在の日本料理を代表する四大名物である「握り寿司」、「ウナギの蒲焼き」、「天ぷら」、「そば」です。これらが生まれた背景には、醬油、酢、みりんといった発酵調味料が広く普及したことも影響しています。
たとえば寿司は、魚を塩と米によって発酵させる保存食の「熟鮨」から発展したものです。この発酵時間を短縮するために、発酵調味料である酢を米に加える技が考案されました。その酢飯に、新鮮な刺身を合わせたものが、握り寿司です。当時は冷蔵技術がないため、ネタの魚を酢でしめたり、醬油漬けにするなど、料理人が鮮度と味を保つよう工夫をこらしました。また、ワサビやショウガなどの薬味も、魚の生臭さを消すための知恵として生まれたものです。
ウナギも古くから食されていましたが、みりんと醬油を使った甘いタレを用いる「蒲焼き」がつくられるようになったのは江戸後期頃から。以前は丸ごと串焼きにしていましたが、ウナギを背開きにして一度蒸し、タレをつけて再び焼くという手の込んだものになります。一度蒸すことによって、余分な脂が落ち、ふっくらとした口当たりになりました。
また、天ぷらも同じ江戸後期頃に、そばはこれより前から庶民に広まりました。これらには、だし、醬油、みりんなどで作ったつゆで食べることが一般的になったことも影響しているといわれています。
初ガツオを売る男性を描く。当時は、商人が魚を売り歩くことが広く行われていた
歌川国貞「卯の花月」静嘉堂文庫蔵
一方で、このように新しい料理が生まれ、広まっていった背景には、出版文化の隆盛もあげられるでしょう。それまでは口頭や自筆のメモだけで伝えられ、秘伝とされていたものが、活字になり出版されるようになったのです。江戸初期には、すでに料理の知識や技術を体系的に記した実用的な料理書が刊行されており、知識や技術が伝播したと考えられます。
また、江戸のグルメを楽しんだのは、江戸っ子だけではありません。1824年には、買い物や飲食ができる有名店を紹介する『江戸買物独案内』というガイドブックが大坂(現在の大阪)で刊行され、地方から訪れた人も江戸の料理を楽しめるようになりました。
江戸の人びとの食への情熱を物語る、印象的なエピソードがあります。元来、日本人は、季節ごとの初物をいち早く食すことを好みましたが、江戸後期頃には、初夏の風物詩であるカツオをあまりにも熱狂して買い入れたために価格が高騰し、ついには「高価でなければ初ガツオではない」といわれるほどの社会現象を引き起こしました。贅沢ができる収入がないような身分の人でも、多くが見栄を張り、こぞって買い求めたといわれています。
このように、庶民を中心的な担い手として江戸で花開いた料理文化は、現代の東京へと連なり、新たな創意工夫を生みながら、今もなおいきいきと息づいているのです。
原田信男(はらだ・のぶを)
1949年生まれ。国士舘大学21世紀アジア学部教授。専攻は日本文化論、日本生活文化史。おもな著書に『江戸の料理史』、『歴史のなかの米と肉』などがある。