第5話
「ご丁寧に、どうも」
女の子につられ、知也もとぼけた答えを返す。
なんとも言えない微妙な空気がその場に満ちたが、次の言葉が見つからない。
だが、動揺は女の子の方が大きかったようで、
「いえ、違うんです! 店員じゃなくって、そのショーケース、私ので、見てくれてるから」
と勝手に弁解じみた説明を始めた。女の子の言いたいことは、自分は「No.56」のショーケースの店子で、作品を見てくれる客がいたので、声をかけたということらしい。
「ごめんなさい、いきなり! あ、私、こういうものです!」
女の子はやけにきびきびした動作で鞄から名刺を出した。反射的に知也は名刺を受け取る。
「しんじょう、えな?」
「はい!」
新条恵那はうれしそうにうなずいた。初見の男にいきなり名刺を渡すのも無用心な気がしたが、本名ではなくハンドルネームかもしれないし、名前のほかはパソコンのメールアドレスと恵那のウェブサイトのアドレスしか載っていない。
「ええと、高橋です。高橋知也。名刺はないんだけど」
知也が言うと、恵那は「知也さんですね!」と声に出して答えた。いちいち声が大きい。知也はなんとなく気圧され、「そ、それじゃあ」と別れを告げて逃げようとした。
「知也さん! お時間ありますか! お、お茶とか!」
瞬間、恵那が叫んだ。
結局、知也は恵那と喫茶店に入った。
思い起こせば二十年の人生で女の子と喫茶店に入った経験など一度もない。むやみと緊張した。
それでも、一つの疑問が知也の頭を離れない。
これは逆ナンなのだろうか。
そんなはずはないと思ってみずからの思考を打ち消すと、今度は別の疑念がわいてきた。
聞いたことがある。街頭で気弱そうなオタクに女性が声をかけ、お茶に誘って高額な版画やアクセサリーを売りつけるのだ。自分の見た目は明らかに「カモ」だろうし、それ以外に女性がわざわざ声をかけてくる理由など思いつかない。
「極洋堂のホットテックシリーズが完成度高くて、私もこんなの作れたらなーって思うんです。あ、知也さんワンフェス出ます? 私、今回で四回目なんですけど――」
だが、版画を売りつける目的で、延々と自分のフィギュア趣味を語る女性がいるだろうか。
恵那の一方的な話を聞くうち、なんとなく分かってきた。恵那は自分のフィギュアを見てくれる人がいて、単純に嬉しかったのだ。知也にも分かる。フィギュアを作れば、他者の感想はいつだって気になる。恵那は恥ずかしさをこらえ、勇気を振り絞ったのだろう。
「すいません、私ばっかり話して」
こうなると、版画どころか、かわいいとすら思える。
知也は笑ってコーヒーカップを手にした。
すねを蹴られ、あやうくコーヒーをこぼしそうになった。
必死で表情を取り繕い、視線だけ足元に向ける。一時間ほど放置されたリュックが、むっつりと置かれていた。
「ごめん、そろそろ出ようか」
もがくリュックを羽交い絞めにし、知也は席を立った。
Copyright (C) Shokichi/Web Japan, English translation (C) John Brennan
2008.
Edited by Japan Echo Inc.
Edited by Japan Echo Inc.