2019 NO.26

ようこそ、日本の庭へ

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日本庭園 様式の変遷

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自然の風景を模すのが特徴の日本庭園。
その様式はどのように形成され、変遷してきたのか。
時代の影響を受けつつ、独自の発展を遂げた日本庭園の歴史をたどる。

監修:尼﨑 博正

日本庭園の特徴

日本庭園は木々、石、砂、水などを用いて、築山、池、流れを芸術的に表現します。洋風庭園が木や石を幾何学的に配置するのに対し、日本庭園は伝統的にできるだけ人の手を加えず、自然のような景観を構成するのです。

7 世紀~8 世紀
古代の庭園

平城宮東院庭園(奈良県)建物の前に岸辺の「州浜」と池が広がる。およそ1300年前の姿を復元したもの。

現在知られている限りで日本における最初期の庭園は、飛鳥時代(593 ~ 710 年)・奈良時代(710 ~794 年)に遡ります。大和地方(現在の奈良県)では、天皇家や有力氏族が大きな池に小島を点在させ、岸辺には「州浜」を配して、海の風景をつくりました。

9世紀~
寝殿造の庭園

平安京(京都府)にあった東三条殿の模型。現在は当時の姿のまま現存する寝殿造庭園はない。屋敷正面の広場から池の中の島々を巡るように複数の橋が架けられている。

794 年、日本の都は奈良から京都に移り、平安時代(794 ~ 1185 年)が始まりました。貴族の藤原家が権力の掌握を確かなものにするにつれて、日本独自の発想による芸術文化が発展したのです。このような貴族は寝殿造と呼ばれる様式で建てられた豪奢な邸宅に住みました。この時代の庭園もまた広壮なものです。

京都ではいくつかの川が合流し、湧き水も豊富でした。京都の夏は蒸し暑いので、人々は涼感を出そうと池や滝をつくり出し、遣水という流れを邸宅の棟の間や庭に流しました。船で遊べる大きな池を配しており、さらに水の上に張り出し、屋根のある回廊で邸宅の他の棟と結ばれた釣殿を設けて、納涼や月見・雪見を楽しめるようにつくられていました。母屋と池の間は広々と白砂で覆われ、公式行事を行う絵のように美しい場所となりました。

10 世紀~11 世紀
浄土庭園

毛越寺庭園(岩手県)浄土庭園の好例。

白水阿弥陀堂(福島県) 画面左手に反橋が見える。

10 世紀から11世紀にかけて、日本の貴族階級はますます仏教の実践に熱心になりました。仏教の正しい教えが衰滅する時代が到来するとの考えが広まるにつれ、庭園は仏典・仏書に書かれた浄土のイメージを模して形作られるようになります。この様式の庭園の中心は池で、反橋で中島に渡れるようになっていました。岩手県の毛越寺や福島県の白水阿弥陀堂は浄土庭園の雰囲気を今に伝えています。