柔道の歴史と現在
柔道のルーツは相撲
オリンピック競技として世界に広まっている柔道は、日本で生まれた武道です。柔道は1882年、従来の格闘(とう)技そのものだった柔術に精神をきたえる要素を加え確立しました。柔術のルーツは相撲です。相撲の歴史は古く、神話時代から推古天皇の治世(554年~628年)までを記述した日本最古の史書である「古事記」(712年)、神話時代から持統天皇の治世(690年~697年)までを記述した「日本書紀」(720年)に、すでに登場しています。
武士の時代に発展した柔術
日本では12世紀に武士が国を治める鎌倉時代(1185年〜1333年)が訪れ、17~19世紀の江戸時代(1603年〜1867年)まで、戦いのエキスパートである武士の統治が続きます。これは今日の柔道にとって幸運なことでした。刀、弓の手法と同時に、戦場で相手と接近して組んで戦う「組み討ち」を想定した柔術(じゅうじゅつ)が発展したからです。江戸時代までにいくつかの流派が生まれ、武士が体をきたえる方法の1つとして広がりました。
柔道の創始者、嘉納治五郎(かのうじごろう)
1868年、江戸時代から明治時代(1868年〜1912年)へと変わる近代化改革、明治維(い)新をむかえたことで武士の統治が終わり、日本人の生活に西洋の文化が取り入れられるようになりました。古くからの柔術は勢いを失いつつありましたが、ある若者の情熱が消えそうになっていた柔術を救います。柔道の創始者として知られる嘉納治五郎です。嘉納は勉強の成績はすぐれていましたが体は小さく、コンプレックスを持っていました。17才のころ、強くなりたい一心で柔術の天神真楊流(てんじんしんようりゅう)師範(はん)の福田八之助(ふくだはちのすけ)に弟子入りします。そして、1882年5月、各流派のすぐれた点を集めて現在の柔道の形に一本化します。まだ21才でした。これが現在の柔道の始まりです。門下生はわずか9人。お寺の庭に構えた道場は、たった12畳(じょう)(1畳は約1.5平方メートル(約16平方フィート))でした。
柔道の国際化を目指す
柔道を広めるため、嘉納は1889年に初めてヨーロッパを訪れました。船の中で、からかってきた外国人を投げ飛ばし、その際に相手のけがを防ぐため、頭の下に手を差し入れて落下を助けたエピソードは有名です。柔道が技の合理性に加え、相手を思いやる精神性も合わせ持っていると評判になりました。嘉納は国際オリンピック委員会の委員を務めるなど常に世界に目を向け、柔道の国際化を目指しました。
東京オリンピックで国際化を実現
嘉納の夢だった「柔道の国際化」が名実共に実現したのが1964年の東京・オリンピックです。男子のみが正式種目として採用され、重量階級別で行われました。無差別級では優勝をのがしましたが、ここで日本人以外の王者が誕生し、柔道が競技スポーツとして世界に広がるきっかけとなりました。女子の試合も、1988年のソウル・オリンピックで公開競技として行われ、1992年のバルセロナ・オリンピックから正式種目になりました。
現在、国際柔道連盟の加盟国は204か国・地域に上っています(2021年3月現在)。特にヨーロッパでは人気が高く、フランスの競技人口は日本をはるかにしのぎます。また、日本ではアフリカやオセアニアなど、柔道がそれほど盛んでない地域に指導者を派遣(けん)したり、リサイクル柔道衣や柔道用の畳(たたみ)を贈(おく)ったりして、競技の普及と発展につとめています。