2018 NO.23

よそおう日本

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日本の化粧いまむかし

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白粉に口紅、頰紅、お歯黒……、
日本人の化粧はどのように形成され、変遷してきたのか。
世相の影響を受けつつ、
独自の美意識を反映させてきた歴史をたどる。

談話●村田孝子

1 紅筆で口紅をひく女性を描いた19世紀前半の浮世絵

2 1185年より鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻・北条政子の豪華な化粧箱

日本人の化粧のはじまりはいつだったのでしょう。3世紀後半の古墳時代のお墓から、赤い顔料を顔や身体にほどこした人物埴輪が発見されています。ただし、この赤は悪いものから身を守るためのものと推測され、現代の化粧とは異なるものでした。現代のような〝おしゃれ〟としての化粧が確認できるのは6世紀後半のことで、宮廷の女性が紅や白粉、香といった化粧品を使っていたことが文献に記録されています。

9世紀末、平安時代になると、高貴な女性は何枚も美しい衣を重ねた十二単と呼ばれる着物を着て、髪を長く伸ばすようになります。こうしたボリュームあるよそおいに映えるよう、顔に白粉をたっぷり塗って白さを強調、眉は生来の眉を抜いて額の上部に描き、唇は小さく見えるように描いていました。歯を黒く染める「お歯黒」も、この当時から既婚女性を表す習慣になったと考えられています。

12世紀はそれまでの貴族から武士の時代に変わります。女性は活動的になり、白粉は薄くなり、長い髪を後ろに束ね、動きやすい服装をするようになります。一方、貴族の男性の間では、おしゃれとしての化粧が定着していきます。1603年から始まる江戸時代には、商工業が飛躍的に発達し、文化の担い手も、武士から町人へと変わっていきます。化粧が日常の習慣として庶民にも親しまれる時代となりました。

9世紀~12世紀

3 十二単を着て、顔を白く塗る女性が描かれた絵巻物

13世紀~14世紀

4 戦いの場でも化粧をする男性貴族の姿