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2015 No.15
水の国、ニッポン
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水の匠
おいしいかき氷や豆腐づくりに、
急峻な日本の川を体感するレジャーに。
水を愛し、知りつくした職人の技が、生きている。
写真●名取和久
天然水を使った究極のかき氷
埼玉県西部の秩父山地を流れる荒川のほとり、水の景勝に恵まれた渓谷の町に、天然氷だけを使ったかき氷専門店「阿左美冷蔵」がある。夏になると店の前には長い行列が絶えない。中には約100㎞離れた東京都心からわざわざやって来る客もいる。
氷をつくるのは前年の冬。11月、露天の氷池を磨きあげ、12月には1930年から使い続ける沢の水を引き込む。水が凍り始め15㎝以上になったら、切り出して氷室で保存。翌年9月までこれでかき氷をつくる。
「水を循環させて凍らせないと、氷が白く濁る。かといって、水を入れすぎると、なかなか凍らない。また雨が降ると雑菌が入るので水は止めないといけない。こんなふうに、氷の様子や天候によって、細かく調整をしないと食用の氷はできないのです」と語るのは、5代目主人の阿左美哲男さん。水質の変化も気がかりだ。
「住宅やゴルフ場ができたりして環境が変わると、水質が低下します。私が子どものころはたくさんいたサワガニも今はあまり見なくなりました」
ミネラルを含んだ天然氷のかき氷は淡雪のように繊細で、口の中でふわりと溶けていく。自然の恵みを損なわないよう、とことん手間をかけた究極のかき氷。この澄んだ味が、この先も失われないことを祈りたい。
見事な舵取りで激流を渡る
スギの産地だった和歌山県北山村では、昔、木は筏にして川に流す「筏流し」で運んでいた。4mの材木を組み、河口まで150㎞近くの距離を2、3日かけて運ぶ人を「筏師」と呼び、技を受け継いできた。北山川は流れが速い上に川幅が狭く、滝など難所も多い。主に筏の両側にかけた櫂で行う操作には高度な技が要る。
1960年代に筏による材木の運搬は廃止されたが、35年前からは、夏季の間だけ、観光筏流しが復活した。
冬は林業を営む筏師は、現在13名。年齢も23歳から60歳と幅広い。その一人、山本正幸さんは筏師歴16年。
「天候によって毎日違う川の流れをいかに操るかが、筏流しの難しいところ。強風の時なんかは、岩に乗り上げないよう必死で舵取りするよ」と話す。激流の中を90度に曲がる技も北山の筏師にしかできない、と胸を張る。水の力を使いこなす山間の人びとの知恵と技が、ダイナミックな川遊びの安全を支えている。
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激流の中、筏の最前で巧みに櫂を操る山本正幸さん(写真提供=北山村)
神聖な山の水でつくる豆腐
雨や霧が多く、稲作や山海の恵みを司る神とされてきた神奈川県の大山(1252m)。山中の社寺への参道には、今も参拝客の旅館が40軒近くある。その旅館で出す精進料理(仏事で肉や魚を使わない料理)に豆腐を卸しているのが「小出豆腐店」だ。
豆腐づくりには、店の横を流れる川を1㎞ほど遡った源流から水を引いて使う。よって雨水の影響を受けず、水温は常に12~13℃に保たれる。成分のほとんどが水分である豆腐の味は水質に大きく左右されるが、神の山の湧き水でできた豆腐は、舌触りがなめらかで喉ごしも心地よい。
1882年から店を受け継ぐ4代目主人、加藤貴克さんは言う。
「水は流れをせき止めると、傷んで味が落ちます。豆腐づくりに使うのはすべて流れている水。これがなければうちの豆腐はできない。パイプが壊れたら夜中でも直しに行きます」
自慢の豆腐を手に持つ加藤貴克さん。創業時から使う真鍮の包丁でみずみずしい豆腐を切る