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弁当の歴史

弁当の元祖「干飯(ほしいい)」

外出先、または屋外での食事は5世紀ごろから行っていたようです。狩(か)り、戦争、農作業などのときにとちゅうで食事をとれるよう、家から干飯やおにぎりを持っていった、という記録が残っています。干飯は、米を蒸して乾燥(かんそう)させた保存食で、湯や水にひたしてもどしてから、あるいはそのまま食べました。

おにぎり

例えば、日本最古の歴史書「日本書紀」(720年)には、5世紀に鷹狩(たかが)りを行ったときに、鷹のえさのふくろを弁当入れに代用したというエピソードが書かれています。また、10世紀ごろの歌物語「伊勢物語」(成立年不明)には、旅のとちゅうで、干飯を食べるシーンがあります。

「弁当」という言葉の始まりについてよく言われるのは、16世紀に活やくした戦国大名、織田信長の話です。信長は自分の城で大勢の人に食事をあたえました。そのとき、1人ひとりに配る簡単な食事という意味で「弁当」と名づけたと言います。

農・山・漁村や町の人々が屋外で働くときは、食事の時間に家へ帰れないことも多いため、弁当を持ち歩きました。米飯、あわ飯、ひえ飯、芋などを中心としたものですが、地域ごとに食生活がちがうため、弁当の中身も同じものにはなりません。

江戸時代に生まれた幕の内弁当、明治時代に生まれた駅弁

江戸時代(1603年~1867年)、町では野山へ遊びに出かけたり、芝居(しばい)に行ったりするときなどに弁当は欠かせず、そのなかでさまざまな工夫をこらした幕の内弁当が発達しました。「幕の内」とは、芝居の幕が下りている幕間に食べることから呼ばれたのが始めとされます。

幕の内弁当

明治時代(1868年~1912年)になり、鉄道が通るようになると、駅で売る弁当「駅弁」が登場しました。駅弁第1号は、1885年に栃木県宇都宮駅で売られた、梅干し入りのおにぎりと言われます。

駅弁 釜飯(かまめし)