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どもが主役しゅやく日本にほんのスケートボードパーク

整備された日本のスケートパーク(写真提供:Kugenuma Growing Park Group)

整備された日本のスケートパーク(写真提供:Kugenuma Growing Park Group)

  2024年夏ねんなつのパリオリンピックのスケートボードでは、日本にほん選手せんしゅきんメダル2堀米雄斗ほりごめゆうと選手せんしゅ男子だんしストリート)、吉沢恋よしざわここ選手せんしゅ女子じょしストリート))、ぎんメダル2赤間凛音あかまりず選手せんしゅ女子じょしストリート)、開心那ひらきここな選手せんしゅ女子じょしパーク))のわせて4獲得かくとくしてくに地域別ちいきべつ最多さいたとなり、前回ぜんかい東京大会とうきょうたいかいつづ大活躍だいかつやくせました。 日本にほんはいつからスケートボードで有名ゆうめいくにになったのでしょうか。この記事きじでは、日本にほんがスケートボード大国たいこくになるまでの経緯けいいせまります。

日本にほんのスケートボードパークはいつからある?

 1960年代ねんだい日本にほんではサーフィンをたのしんでいたひとたちがスケートボードをはじめるようになりました。1970年代ねんだいなかごろから公園こうえん滑走かっそうするひとえ、1970年代ねんだい後半こうはん渋谷しぶや百貨店ひゃっかてん屋上おくじょうにスケートボードパークが登場とうじょうし、一過性いっかせいのブームとなりました。

 その、スケートボードをするひとえましたが、専用せんようのパークはほとんどありませんでした。そのため、スケートボードをするひとかずすくなくなってしまいました。しかし、1980年代ねんだい後半こうはんになるとスケートボードにトリック(いた回転かいてんさせたりするわざ)をれることがはじまり、ふたたびブームがおとずれました。1990年代ねんだいにはファッションや音楽おんがく、グラフィティーアートと一緒いっしょ若者わかもののストリート文化ぶんかになりましたが、そのころパークはほとんどが閉園へいえんしていたためスケートボーダーはまち階段かいだんすりを利用りようし、トリックをきそっていたので迷惑者めいわくもののレッテルをられてしまいました。

左:木で作られたランプ
右:ハーフパイプ(現代ではミニランプとも言う)

上:木で作られたランプ
下:ハーフパイプ(現代ではミニランプとも言う)

 人口じんこう密集みっしゅうエリアがおお日本にほんではついにすべれるところがくなってしまいました。そこで本当ほんとうにスケートボードをあいするひとたちが、DIYでランプやハーフパイプ(ランプをかいわせた形状けいじょう)などをつくり、公園こうえんがわ交渉こうしょうをはじめました。署名活動しょめいかつどうなどをて、ようやく時間限定じかんげんてい公園こうえん一部いちぶのエリアを使つかうことがゆるされました。これは1990年代ねんだい後半こうはんころです。

スケートボードパークをやすには努力どりょく必要ひつようでした

 すこしずつスケートボードパークができはじめると日本にほん全国ぜんこくからスケートボード愛好家あいこうかあつまりはじめました。堂々どうどうとスケートボードをたのしめるからです。

 ひとあつまると時間外じかんがいやパークがいでスケートボードをするひとえ、騒音そうおんやゴミなどマナーの問題もんだい閉鎖へいさされそうになったパークもあります。しかし当時とうじ交渉こうしょう署名しょめい活動かつどうなどをした大人おとなたちがスケートボーダーへのマナー向上こうじょう何度なんどうったえ「ルールをまもらないと堂々どうどうたのしめる自分じぶんたちの場所ばしょくなるよ」というように周知しゅうち活動かつどう徹底てっていしました。

 そのようなくさ活動かつどう成功せいこうし、公共こうきょう公園こうえんおおきなまち屋内施設おくないしせつなどすこしずつパークがえていきました。そしてコンテストや大会たいかいなどが開催かいさいされるようになりました。

スケートボードパークの利用のルールが書かれた看板 (画像提供:Himeji skateboardAssociation)

 21世紀せいきになるとどものころにスケートボードに熱中ねっちゅうしてあそんでいた世代せだいどもをおやになり、政治せいじたずさわるひともいたり、行政ぎょうせい仕事しごとひともいたりと、日本にほん各地かくち公共こうきょうのスケートボードパークがオープンしていきました。それと同時どうじにスケートボード専門店せんもんてんのスケートボード教室きょうしつもたくさんオープンし、いまでは家族かぞくたのしめるスポーツとして認知にんちされ各地かくち根付ねづいていきました。

 21世紀せいきまれのスケートボーダーは「スケートボードはパークないたのしむスポーツ」という意識いしきがあり、マナーをまもることがたりまえになっています。

ヒーローの登場とうじょうとオリンピック

東京2020オリンピック競技大会で金メダルを獲得した日本チームの西矢椛選手 (© Getty Images)

 いまでは各地かくちでスケートボードパークが整備せいびされたため、1990年代ねんだいのストリート世代せだいどもをれてあそびにかようようになりました。当時とうじのストリート世代せだいは、安全あんぜん防具ぼうぐをつけずにスケートボードをして怪我けがをした経験けいけんおおいため、どもにはきちんと防具ぼうぐをつけさせて、家族かぞくたのしむひとえました。ちいさいどもたちはおんなおとこおどろくほど上達じょうたつはやく、おやはびっくりしました。なぜならおやたちは未整備みせいびのエリアでスケートボードをはじめたひとおおく、そのほとんどが独学どくがくでしたが3さい〜5歳児さいじから整備せいびされたパークできちんとすべかたおしえると上達じょうたつスピードがはやいことがかりました。

 その結果けっか競技人口きょうぎじんこうえ、海外かいがいのコンテストでも活躍かつやくする選手せんしゅてきました。そして2015ねんに2020東京とうきょう五輪ごりんへの追加種目ついかしゅもくとしてスケートボードが採用さいようされ、翌年よくねんIOC国際こくさいオリンピック委員会いいんかい正式せいしき承認しょうにんされました。

 オリンピックでスケートボードが最初さいしょおこなわれたのが東京とうきょうということもおどろきですが、(男子だんしストリート)において堀米雄斗選手ほりごめゆうとせんしゅきんメダルを獲得かくとくし、(女子じょしストリート)でも西矢椛選手にしやもみじせんしゅきんメダル、中山楓奈選手なかやまふうなせんしゅどうメダル、(女子じょしパーク)では四十住よそずみさくら選手せんしゅきんメダル、12さい日本人最年少出場記録にほんじんさいねんしょうしゅつじょうきろく開心那選手ひらきここなせんしゅぎんメダルを獲得かくとくしました。これは本当ほんとうにスケートボードを家族かぞくたのしめるようになった土台どだいがあってこその結果けっかだとかんじます。

どもたちが主役しゅやく日本にほんのスケートボードパーク

屋内のスケートボード教室 (画像提供:Flake Skate Garage)

 日本にほん海外かいがいおおきくちがうのはどもが主役しゅやく大会たいかいおおいことです。色々いろいろまちでトーナメントせんおこなわれ、どもたちがわざきそっています。スクールも充実じゅうじつしておりいコーチもたくさんます。幼稚園児ようちえんじからスケートボードをおしえてもらうことができ、小学生しょうがくせいもっとおおかよっています。いまではおやがスケートボードの経験けいけんくてもみずか挑戦ちょうせんしたいというどもたちもたくさんます。

 低年齢ていねんれいから練習れんしゅうすることでちいさな教室きょうしつからも有名選手ゆうめいせんしゅ輩出はいしゅつされるなどスケートボードをたのしむどもたちがさらにえています。スケートボードパークは家族かぞくたのしむ場所ばしょとして定着ていちゃくしました。

左:スケートボード教室のプロテクター(画像提供:Flake Skate Garage)
右:スケートボード教室の初心者クラス (画像提供:Flake Skate Garage)

上:スケートボード教室のプロテクター(画像提供:Flake Skate Garage)
下:スケートボード教室の初心者クラス
(画像提供:Flake Skate Garage)

 いまわか世代せだいは、他人たにん迷惑めいわくをかけることをクールだとはおもっていません。ストリートにあるようなものをパークに設置せっちし、安全あんぜんたのしめる場所ばしょつくりました。整備せいびされたパークでは、危険きけん障害物しょうがいぶつがないので、おもいっきりすべることができます。また、初心者しょしんしゃエリアを設置せっちして、マナーやルールはもちろんのこと、スケートボーダー同士どうしのゆずりいやおもいやりの気持きもちを大事だいじにしてもらうよう、意識いしき向上こうじょうにもんでいます。その結果けっか日本にほんではわか優秀ゆうしゅうなスケートボーダーがたくさんまれています。スケートボード本来ほんらいの「すべたのしさ」と「ルールとマナーの大切たいせつさ」をかんじられるのはスケートボードパークの影響えいきょうもあるでしょう。