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流鏑馬って何?

流鏑馬の歴史

中世の武士が狩りに出かけるときに着用した衣服(狩装束)に身を包み、騎手が馬を走らせながら3つの的を次々に射るのが流鏑馬です。鎌倉市の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で毎年9月16日、神社の祭礼の1つとして行われる「流鏑馬神事」が特に有名です。

昔から行われている流鏑馬のようすをえがいた「流鏑馬之図」(鶴岡八幡宮)

中世までの武士には、全力で走る馬にまたがりながら弓を射る技術が要求され、馬術と弓術を一体として身につける訓練方法の1つとして流鏑馬が始まりました。鎌倉時代(1185年〜1333年)の武家政権・鎌倉幕府を開いた最初の将軍の源 頼朝(みなもとのよりとも)は、この流鏑馬を研究、広めることに努め、1187年に「流鏑馬神事」を始めました。これは今日まで続いています。頼朝は、流鏑馬を神社の祭礼の1つとして行うことによって、武士の精神力と信仰心(しんこうしん)を高めることを考えていたと言われています。

現在の流鏑馬のようす(鶴岡八幡宮)

鶴岡八幡宮の流鏑馬神事

お宮の構内を東西に走る約260メートル(約850フィート)の馬場に、青竹にはさんだ的(正方形の杉板)が3個、約70メートル(約230フィート)間かくで立てられます。狩装束の3人の射手が紅白の扇(おうぎ)の合図で次々に馬場に駆(か)けこんで、矢を次々に放ち、的を射ながら駆けぬけていきます。

鶴岡八幡宮の遠景(鶴岡八幡宮)

この間、およそ十数秒。射手が矢を射る際、間に合わなくなって的を過ぎてしまったときは、その矢はそこに落としていき、次の的は次の矢で射なければなりません。流鏑馬には天下太平の願いがこめられており、当たった矢や的はお護りとして大切にされています。

このような伝統行事としての流鏑馬以外にも、馬上での弓矢の腕(うで)前を的への的中率で競うスポーツ流鏑馬という競技もあり、流鏑馬愛好者により親しまれています。

鶴岡八幡宮流鏑馬馬場(鶴岡八幡宮)
鶴岡八幡宮流鏑馬馬場(鶴岡八幡宮)