相撲の歴史

神話や伝説にも登場する相撲
相撲に似た格闘(とう)技は世界各国で大昔から行われてきました。今もあるのは韓国のシルム、モンゴルのボフ、トルコのヤールギュレッシュなどです。日本では4世紀ごろの古墳(こふん)時代(3世紀ごろ〜7世紀ごろ)の出土品に相撲人形があり、古事記(712年)、日本書紀(720年)の神話、伝説にも登場します。稲作(いなさく)が始まると、農民の間に、その年の稲(いね)がたくさん取れるように祈(いの)ったり、豊作かどうかを占(うらな)ったりする行事として行われていました。奈良(710年〜794年)・平安時代(794年〜1185年)には宮ていの儀(ぎ)式(相撲節会)になり、天皇の前で相撲を取る天覧相撲が行われました。
武士の時代になると、力が強いことは戦いに必要な武術とみられるようになり、武家では力士をやとうようになりました。日本で最も有名な戦国大名の一人である織田信長は、毎年、力士を集めて相撲大会を開くほど相撲が好きだったと、信長公記(1610年ごろ)という資料にも書かれています。
現在の相撲のルールや制度が固まったのは江戸時代
現在の大相撲の形は、江戸時代(1603年〜1867年)にほぼ作られました。神社やお寺を建てたり、橋をかけかえたりする寄付を集めるためにお金を取って相撲を見せる興行(こうぎょう)や「勧進(かんじん)相撲」が行われ、プロの力士が生まれました。えらい人たちの楽しみだった相撲をふつうの人々のごらくに広めたのです。江戸、大坂、京都で相撲興行が盛んに行われ、相撲風景や力士の「にしき絵」も作られて、人々の相撲人気は高まりました。しかし、けんかや争いがたえず、当時の政府はたびたび禁止令を出すほどでした。
このため相撲関係者は、勝負の決まり手を48手にしたり、土俵を今のような俵で丸く仕切るなど競技ルールを決めたりして、力士を養成する部屋制度も作りました。
まげ姿に古くからの衣装、数々のしきたりが生きている大相撲は、単なるスポーツをこえた日本の伝統文化という面もあり、現在では「はだかの大使」として海外でも公演を行っています。