鶴岡八幡宮の流鏑馬
毎年、9月14日から16日まで、東京から45キロメートル(28マイル)南西の鎌倉にある鶴岡八幡宮で大きい祭りが催されます。ハイライトは最終日にある流鏑馬(馬に乗ったまま弓を射る)の儀式です。この儀式はまさに歴史の1ページで、この古い都市のシンボルです。
流鏑馬の儀式では、馬に乗った射手が約68センチメートル(26インチ)平方で1センチメートル(3/8インチ)の厚さの木製の的に、全力疾走しながら弓を射ます。的は約80メートル(87ヤード)離れた場所に置かれているため、3つすべての的に当てるには、すばやく連続して弓を引かなくてはなりません。矢が当たるたびに、人々から称賛の声が上がります。矢が当たると、大きな割れる音がして、的が砕け散ることもあります。
鶴岡八幡宮の流鏑馬では、総勢18名が矢を射ます。最初の3人は鎌倉時代(1185年から1333年)の狩猟の服装を身にまとい、残りの15名は江戸時代(1603年から1868年)の侍の衣装を着ています。
鎌倉は1192年に、源頼朝(1147年~1199年)が将軍になったときに、幕府(軍事政権)の拠点になりました。その後、約150年間、軍事氏族の統治中心地として機能し続けました。馬術と弓は非常に価値のある技術でした。頼朝自身も両方の技術を熱心に練習しており、馬に乗って野や丘を走り回り、弓と矢で狩猟を楽しんでいました。流鏑馬は、これら2つの技術が組み合わされた儀式です。1187年に頼朝の前で平和な統治を願って行われました。それが鎌倉で初めて流鏑馬が行われたときでしたが、その後数百年の間続いています。