Three-Piece Story / Takeuchi Makoto
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第11話
フリーマントル駅からは市内を巡回する無料バスが出ていて、それに乗ると浜辺の近くまで行くことができる。その車内でも、僕はあの二人が乗り合わせていないだろうかと乗客の顔を見回していた。
そのせいで隣の席に座っていた白人のお婆さんと目が合った。彼女は僕の胸元に目を向け、遠慮がちに何か話しかけてくる。早口の英語を聞き取れた自信はないが、多分「そのお寿司は本物?」という質問だったと思う。
「No, It’s a...model.」僕は拙い英語で答えた。「Japanese brooch. Isn’t it funny? 」
お婆さんはにっこりと笑った。今度はゆっくり喋ってくれたので聞き取ることができた。
「Oh, yes. It’s very nice. I love Sushi! 」
そうやって笑顔を向けられただけでも、わざわざ日本から持ってきた甲斐があった。お婆さんは僕が降りた後にも走っていくバスの中からにっこり笑いかけてくれて、僕まですっかり楽しい気分になれたのだ。仮に本物の寿司を身につけていてもこうはならなかったわけで、これは偽物の効用かもしれない。
停留所から海岸近くに建っているマクドナルドに向かった。--張が見つけたブログによると、例の立札はマクドナルドのそばにあるらしいのだ。店の周囲をぐるりと回ってみると海の方に立札らしき影が見つかった。
そっちに向かって歩いていく途中、背の高い東洋系の女性とすれ違った。彼女も寿司ブローチに気づいたのか、僕の胸元をまじまじと見つめてくる。視線を上げた時には、彼女の口元にも微笑が浮かんでいた。
立ち止まった彼女に微笑を返し、僕は立札に近寄った。思った通り、そこには「THE OLD PORT」という文字が記されている。実物はブログの写真より大きく感じたが、文字も色合いもパソコン画面で見た通りである。
これでとりあえず一安心だったが、腕時計を見たら待ち合わせまではあと三時間もある。観光でもして時間を潰そうかと考えた時、ふと背中に視線を感じた。
何気なく振り返ったら、さっきの背の高い女性が歩き去っていくのが見えた。長い髪がふわりと揺れ、海風に吹かれて広がっている。
視線の主は彼女だったようだ。--まっすぐな髪が風に広がったのは、たった今体の向きを変えたからだろう。僕が振り返るまで、彼女は僕を見ていたのだ。
だけどどうして見ていたのか分からない。残念ながら二十代半ばとおぼしき女性に振り返られるほど男前ではないし、いくら寿司ブローチが珍しくてもそこまで見つめる人もいなかろう。--遠ざかる後ろ姿は、地図にない国への入口で見つけた新たな謎であった。

謎が解けたのは、それから三時間後だった。
僕が三十分前から立札のところで待っていると、やがて一見して誰だか分かる男が現れた。--トレンチコートを着た小太りの白人男性が、携帯用というには大きなサイズの折り畳みチェス盤を小脇に抱え、にこにこ笑いながらまっすぐこっちに向かってくるのである。眼鏡の奥の青い瞳に好奇心をたたえた彼が、スコット以外の人物であるわけがない。
「初めまして。あなたは昇太さんですね?」
彼は右手を差し出しながら駆け寄ってきた。僕は目印の寿司ブローチを指さし、にっこり笑って彼の手を握り返した。
「これ、一つはあなたにプレゼントです」
そう言うと、スコットは少し迷ってからイカの握りを選んだ。トレンチコートの襟元につけるには少々ミスマッチなデザインだったが、あえてそうしてくれるあたりが彼の人のよさだろう。おかげで初対面の緊張感もあっと言う間に消えていった。
そして十二時きっかりに張が現れた。道路に停まったタクシーを降り、まっすぐこちらに歩いてくる。
僕とスコットは揃ってそっちに目をやった。スコットは別人だと思ったらしくてすぐに目を逸らしたが、僕にはもう分かっていた。僕らが待っていた相手は彼女なのだ。
「さっきはどうも!」
 僕から声をかけた。--長い黒髪が印象的な彼女こそ、僕とスコットが待っていたもう一人の仲間なのだ。三時間前にすれ違ったのは、彼女もここを確認しに来たからだろう。
スコットが怪訝そうに僕と彼女を見比べた。その顔に驚きと喜びが浮かんだのは、彼女がレザージャケットのポケットに入れていた手を出した直後である。
細い指の間で金色のコインがきらめいた。指がしなやかに動くとコインはくるくると回り、生き物のように指から指へと移動していく。手品師がやるような見事なコインロールで、指の間で踊っている金色の輝きはもちろんあのロジャーコインだろう。
「Nice to meet you, Scott. I'm Erica Zhang, so would you mind calling me Eric?」
彼女はまずスコットに英語で話しかけた。ちょっと気が強そうだが、とても魅力的な笑顔だった。
「おお、おお」スコットは彼女が差し伸べた右手を丁寧に握り返した。咄嗟に言葉も出てこないようである。
「初めまして」僕は日本語で話しかけることにした。「男だって言ってなかったっけ?」
僕より年上のようだから敬語を使うべきかとも思ったが、いつもの調子で通すことにした。彼女も気さくな日本語で応じてくる。
「違うよ。男だよねって聞かれたから、そのつもりだって答えたんだけど」
「男になった気分で喋ってたってこと?」
「それもあるけど」張は照れ笑いを浮かべた。「日本語の女言葉、得意じゃないんだ」
聞けば、彼女は男言葉で日本語を覚えたらしい。日本に住んでいた頃、兄たちの喋る日本語から耳に馴染んでいったせいである。やがて大人たちから女の子らしい言葉を使うように注意されるようになったが、幼い張は男と女で言葉が違うということが納得できなかった。だから今でも、日本語は女言葉より男言葉の方が得意だというのだった。
「ネットだと男の方が何かと便利だしね。女と分かるとしつこい奴もいるから」
それで最初は張と名乗ったのだろう。下の名前を聞かれた時は、エリカという名前からaの字を抜いてエリックと名乗ったわけだ。
「私も昇太も、この謎は解けなかったね」スコットも日本語で言った。「こんなに美しい女の人とは、まったく気づきませんでした」
「騙すつもりじゃなかったんだけど」張は照れ笑いを浮かべた。「どうせなら、会うまで黙ってる方が面白いかと思って」
「おお、確かに面白い、嬉しい驚きです」
  しばらくそうやって、海を眺めながら談笑した。エリックが場所を変えませんかと言い出したのは、海風で体が冷えてきた頃である。

Copyright (C) Takeuchi Makoto/Web Japan, English translation (C) John Brennan 2007.
Edited by Japan Echo Inc.