第10話
バックパッカースタイルで荷物をひとまとめに担いでいたので、空港での待ち時間は短く済んだ。入国審査や税関もすんなり抜けて外に出て、火曜の朝のパースの空気を吸うことができた。
八月のオーストラリアは冬である。日本の冬ほど寒くはないと聞いていたが、それでもフリースジャケットを羽織っただけでは少々肌寒い。幸い外に出てすぐのところがパース市街へ向かうシャトルバス乗り場だったので、車内に入って寒さをしのぐことにした。
二十ドル札で運賃を払ったら、お釣りは金色のコインで返ってきた。大きい方が一ドルで小さい方が二ドルだが、その色合いはネットで見たロジャーコインによく似ている。明日は張が実物を持参すると言っていたので、実際に見比べることもできそうだった。
バスの座席に落ちついた途端、急に眠気に襲われた。飛行機で一睡もしなかったせいもあるし、無事に入国して気が緩んだのだろう。走るバスの中で眠り込んでしまい、人の良さそうな運転手に揺り起こされて目が覚めた。
早口の英語は聞き取れなかったが、彼の表情や身振りからすると終点だから降りてくれと言っているようだ。窓の外を見れば、バスは既にパース駅前に到着している。慌ててバックパックを背負い、人々の行き交う駅前広場に降り立った。
西洋人やら東洋人やらよく分からない人やら、様々な人種が行き交っている様が新鮮だった。もちろん空港でもいろんな国の人々を目にしたけれど、パースの街ではそんな人々が日常の中で溶け合っている。やはりスーツ姿やコート姿が目立ったが、学生風にラフな格好の人も多いし冬とは思えないほど薄着の人もいる。見るからに貧乏旅行中という格好の僕もすんなりと街の中に受け入れてもらえるようで、のんびりと気の向いた方向に歩き出すことができた。
駅前の繁華街はまだ多くの店がシャッターを下ろしていたが、行き交う人や車の流れに活気があって僕の地元のシャッター通りとはまるで違う雰囲気だった。まあ東京の外れの商店街と西オーストラリアの州都の中心部とを比べても始まらないが、僕の日常とかけ離れた光景が地球の反対側に来たことをあらためて意識させてくれた。
道端脇の地図を見たら近くに公園があったので、そこまで歩いてバックパックを下ろした。ガイドブックのコピーを取り出し、今いる場所と目指す安宿の方向とを確認したのだ。だんだん日が高くなってきたので寒くはなかったし、地図の方角と太陽の位置を照らし合わせるだけでも楽しくなってきた。
太陽は北側にある。赤道を越えて南半球に来たおかげで、日本とは反対の方角に太陽を見ることができたのだ。--そして、それがスコットの問題の答えだった。太陽のある方を南と思い込んで方角を判断すると、正反対の方向に進みかねないというわけである。
推理パズルとしては簡単だったけど、それを自分の目や体で味わう感覚は格別だった。南半球のことを裏半球といったりオーストラリアのことを逆さま大陸といったりするけれど、ぐるりと引っ繰り返ったのは僕の感覚の方だったのかもしれない。
その日はパース市街を散策して過ごした。多少の買い物をした後はもっぱら無料で観光できるところを見て回り、午後には早々に宿をとった。バックパッカー用の安宿だったが、朝食は食堂のパンやシリアルを自由に食べていいというのがありがたい。とりあえず明日までは何とかなると安心し、四人部屋のベッドを一つ確保した後はバックパックを枕に昼寝を決め込んだ。目覚めた時にはもう夜で、日本との時差はほとんどないのに一人で勝手に時差ボケになっているようなものであった。
おかげで翌朝は早く目覚めた。しっかり朝食をとった後は手早く荷物をまとめ、さっさとチェックアウトして外に出た。--待ち合わせは正午だから急ぐ必要はなかったが、早めにフリーマントルまで行っておくことにしたのだ。遅れないように例の立札を探しておくつもりだったが、要はいてもたってもいられなかったのだと思う。
パース駅からフリーマントルまでは電車で三十分足らずである。日本にあるような改札口が見当たらないのには戸惑ったが、切符を買って入場したのだから大丈夫だろうと思うことにした。いつ検札されてもいいように切符はポケットに入れ、ついでに待ち合わせの目印をバックパックから出しておいた。
なにしろネット上での付き合いしかない三人だから、互いの顔も分からない。前もって顔写真を送り合おうかという話も出たが、張がそれよりも待ち合わせの目印を決めた方が面白いと提案した。彼は通販で買ったロジャーコインを持ってくると言うし、スコットは携帯用のチェスセットを持参すると言い出した。僕はスコットへの秋葉原土産としておでん缶を持参しようかと提案したが、食品は税関で止められかねない上に汁けがあると機内持ち込みもできないらしい。考えた末、二人への手土産もかねて握り寿司のブローチを目印にすることにしたのだった。
なんでも、飲食店のディスプレイ用に作られる
本物そっくりの食品サンプルは日本で独自に発展したものらしい。それを外国人観光客が珍しがるものだから、今ではすっかり定番の日本土産となっているのだ。僕のバイト先でもいくつか売っているので、トロとイカとを買って持参してきた。待ち合わせ場所を見つけてから胸につけるつもりだったが、案外この電車にもスコットや張が乗り合わせているかもしれないと思いつき、安全ピンでフリースジャケットの胸元にくっつけておいた。
日本土産といえば、日本で旅行の調べ物をしている間に僕から張とスコットに出題する問題を作っておいた。こんな話である。
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『偽札造りの犯人がオーストラリアに流刑になったが、後に偉くなって本物の紙幣の肖像画になったという話がある。しかしこれは日本で生まれた誤解だった。どうしてそんな誤解が生まれたのだろうか?』
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そして僕は、パースの街でこの問題にまつわるアイテムを手に入れていた。オーストラリアの古い十ドル札で、材質がビニールポリマーになる以前の紙幣である。肖像に描かれているのはフランシス・グリーンウェイという建築家とヘンリー・ローソンという作家だった。
コインショップでの売値は二十ドルで、貧乏旅行の僕にはかなりの負担だったが、こればかりは買わずにいられなかった。単に問題の解説に役立つというだけではなく、この紙幣にまつわる物語には何かとても大事なものが含まれているような気がしたからである。