三社祭
5月の第3週の週末に浅草神社の三社祭が行われます。
この祭りは江戸時代(1603年から1868年)に非常に人気になり、現在は浅草神社の周りの混雑した通りに出る、住民が担ぐ100基を超える御輿の行列が見物です。
言い伝えによると、7世紀に2人の漁師が近くの川である像が浮かんでいるのを見つけ、村の長老に見せるとそれは観音像であることがわかり、その観音像を大切に扱いました。この神社は彼らを讃えて建てられました。その像は後に、観音信仰の中心地として有名になった浅草寺の本尊になりました。
御輿によって、地域の神様が運ばれます。この神様は、1年に1回、祭りの際に神社を離れ、地域を訪問することで、次の年にも氏子がさらに保護されると信じられています。
三社祭では、びんざさら舞と呼ばれる古代の踊りが舞われます。見物人は、昔、江戸(現在の東京)の町民がどのようにお祭りを祝っていたか垣間見ることができます。
三社祭は5月中旬の3日間行われます。初日の午後に、500人を超える行列が始まります。参拝者は神社近辺の地域を回った後、儀式に参加し、豊作を祈ります。2日目は、氏子の会が後援しているおよそ100基の御輿が浅草の町に繰り出します。
祭りのクライマックスは浅草神社の3つの巨大な御輿が町に繰り出す3日目です。午前6時に、神社の境内にぎっしりと集まった10,000人に近い人が、それぞれが約1トンもある御輿を担ごうと御輿に駆けつけます。「そいや!そいや!」と声を揃えて叫びながら、神社を出るまでに約2時間もかかります。
地元の多くの子ども達は祭りのためにはっぴを着て、頭にはちまきを締め、この伝統的な催し物に参加します。お祭りの衣装を着て、両親と一緒にこの壮観な眺めを楽しんでいる就学前の子どももいます。
通常、5月は温かく気候がよいため、乱暴に揺らされることもある大きい御輿が町中を巡る様子を見ようと、100万人を超える人がやってきます。すべての氏子グループの参拝が終わると、午後7時頃、3基の御輿は浅草神社に戻っていきます。