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子どもクラブ

津軽三味線
(つがるしゃみせん)


山田千里ってどんな人?

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ライブハウス「山唄」

 山田千里さんは津軽三味線の第一人者です。1931年に、青森県の日本海に面した小さな村に、農家の9人兄弟の8番目として生まれました。幼いころから歌が上手だったため、身内や近所などで結婚式があると、よく“出演依頼”があり、披露宴の出席者の前で歌っていたそうです。


 山田さんが15才の夏、学校で当時の津軽三味線の名人の演奏を聴く機会がありました。その時の感動が今でも忘れられないと言います。「本当にしびれてしまってね。レコードで聴いた時からいいなと思っていたんだけど、生で聴くのはもっと素晴らしくて、動けなくなってしまったよ」。山田さんはさっそくその名人に弟子入りし、プロを目指して歩みはじめました。


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女性の奏者、中村春子さん

 18才で師匠のもとを離れて独立すると、仲間と一緒に青森県やその近県などをまわって各地で津軽三味線の演奏を一般の人々に披露し続けてきました。1963年からは、弘前市に津軽民謡ライブハウス「山唄」を開き、その後はここを拠点に活動しています。


 それからは毎晩のようにステージで演奏しながら腕を磨き、今までに数多くのレコード、テープ、CDなどを出しています。海外での人気も相当なもので、1976年にブダペスト、ウィーンで公演してからは毎年、世界各国で演奏活動を続け、ジャズ・ミュージシャンとの共演も何度かこなしてきました。


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山田千里さんは30年以上に渡って演奏を続けています。


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ライブでは10人以上の奏者が舞台に上がります。

 「山唄」を開いてからは、津軽三味線を習いたいという若者が現れはじめました。そこで弟子をとるようになり、以来数多くの奏者を世に送り出してきました。現在、山田さんのもとにはお弟子さんが8人、毎週土曜日に三味線を習いに来る生徒さんが15人ほどいます。


 山田さんはこのほかにも、流派を超えて津軽三味線の発展をめざす津軽三味線全国協議会の会長をつとめています。全国協議会は結成10年目となる1999年11月、東京ドームでフェスティバルを開き、全国から集まった1000人の奏者による大合奏を披露するなど、津軽三味線をもっと多くの人々に知ってもらうための活動を続けています。