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子どもクラブ


能の歴史

 能は今から1300年くらい前に、中国から日本に伝えられました。当時は散楽と呼ばれていました。それが日本古来のお笑い芸と結びつき、今から1000年くらい前に猿楽と呼ばれるようになりました。このころの猿楽は、物まねや言葉遊びなどを中心とした寸劇のようなものだったようです。


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奈良・丹生神社(初期の舞台)(Ken Yoshikoshi)


 そして13世紀の終わりころには、猿楽を専門に行う新しい集団ができ、やがて、それまでの舞を中心とする猿楽に、物語の要素が入るようになり、今の能の原型ができ上がりました。


 そして、14世紀も半ば、観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)という二人の天才役者が現れます。父の観阿弥は、それまでの単調だった謡(うたい)に、拍子中心の、現代のラップ音楽のような「曲舞(くせまい)」という音楽を取り入れ、新しい音楽を生み出します。一方、息子の世阿弥は、セリフやストーリーのおもしろさで売っていた猿楽を、歌や舞を中心にする優美なものに変えます。


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京都・西本願寺 北舞台(16世紀の舞台)(Ken Yoshikoshi)


 現在の能はこのとき完成されたといわれています。観阿弥・世阿弥父子は時の将軍、足利義満(1358-1408)に気に入られお抱え役者的な存在になりますが、それ以後、能楽師は織田信長(1534-1582)豊臣秀吉(1536-1598)、徳川家康(1542-1616)といった歴代の権力者のお抱えとなり、能は武家の教養として発展します。そして、19世紀後半、明治維新と第二次世界大戦で、能は崩壊の危機を迎えますが、能楽師の努力で危機を乗り越え、再び根強い人気を取り戻します。2001年5月には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、日本の「能楽」(能と狂言)を「人類の口承および無形遺産の傑作」と宣言しました。これは、今回ユネスコが新たに制定した「世界遺産」の無形文化財版で、能楽を含む世界の19件の芸能や文化が同時に宣言されました。


 また、戦前、舞台には男性しか上がれませんでしたが、戦後女性能楽師も徐々に増えつつあります。最近では、能の海外公演も世界各地で行われるようになり、外国人が能に興味を持ち、稽古を受けることも珍しくなくなりました。


 このあとご紹介する京都は、日本の古い都で、東京や大阪とならび能の盛んなところです。