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小鹿野町の遠景。町の周りは豊かな自然がいっぱいです。
町にある旅館のひとつ。昔ながらの造りをしています。
小鹿野町の春祭りは、1年のうちで最も盛大な祭りです。
町のあちこちには、歌舞伎のための屋外舞台がいくつもあります。
小鹿野町(おがのちょう)は、東京から約100キロ離れた埼玉県山あいの静かな町です。人口はおよそ1万2500人。江戸時代から絹生産や商業の町として栄え、今も町の中心部には古い旅館や商店が残り、当時の面影(おもかげ)を残しています。
この町が今日「歌舞伎の町」として知られるようになったのは、江戸時代後期に、江戸で歌舞伎の修業をした役者が里帰りし、町の人々に歌舞伎を指導したことがきっかけと言われています。
歌舞伎は江戸時代に生まれた日本の伝統的な演劇の一つで、派手な衣装を身にまとい、性格や表情を誇張して役者の顔に絵の具で線を描く「隈取り(くまどり)」という奇抜な化粧法や、抑揚をつけた古語体のセリフ独特の言い回し、動作や感情が極限に達したときに、にらむようなポーズを取る「見得(みえ)」という特殊な動作などが特徴で、日本の中世や近世の歴史物語などを題材に演じられます。
プロの歌舞伎の世界では、世襲制で役が受け継がれ、役者も男性に限られているのに対し、小鹿野町で演じられているような地方歌舞伎ではそうした制約がありません。小鹿野町では昔から老若男女が、男性、女性、子供のグループに分かれ、歌舞伎を演じ、楽しんできました。映画やテレビが普及するにつれ、歌舞伎は衰退の傾向にありましたが、1973年、町の人たちが立ち上がり、歌舞伎保存会を結成し、復興に努めました。その結果、歌舞伎は徐々に賑わいを取り戻してきました。
小鹿野歌舞伎の背景には、このように町に根付いた長い地芝居(じしばい)の伝統があり、役者や裏方はもちろん、かつら、衣装、大道具(舞台装置)、小道具(舞台で使う持ち物等)、下座(げざ)音楽(三味線、太鼓、笛等)など、すべてを自前でまかなうことができます。これは現在、日本全国で150団体ほどある地芝居の中でも大変珍しいことです。
町内には歌舞伎の本拠地が5箇所もあり、それぞれ自分たちの舞台を持っています。歌舞伎に携わっている人は、役者、裏方含めておよそ230人にもなり、かつて携わった人まで含めると相当な人数になります。小鹿野町が「町中が歌舞伎役者」と呼ばれるゆえんでもあります。