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煙突が並ぶ有田町(有田町)
日本にはいろんな焼き物がありますが、有田焼ってどんな焼き物か知っていますか?
有田焼が生まれたのは、今からほぼ400年前のこと。隣の国・朝鮮から来日していた陶工の李参平が、有田の町(現在の佐賀県有田町)を訪れた事がきっかけと言われています。1616年、李参平によって、有田の泉山で陶石が発見され、この陶石を使って日本で初めて磁器が焼かれた事が知られています。この陶石の発見で有田ではいっきに焼き物が盛んになりました。その後、色絵技術の漏洩を防ぐため、有田には代官所(今でいう役所)が作られ、有田焼の生産は管理されるようになりました。
今でも残る古伊万里の鉢(佐賀県立九州陶磁文化館)
初期の有田焼は、白い素地に藍色の模様が多かったのですが、1640年代に初代・柿右衛門が有名な赤を基調とした「赤絵(色絵磁器)」を生み出します。白い素地に描かれた赤・黄・緑・青などの美しい絵柄は、有田焼の代表的なもので今も世界中で愛されています。
柿右衛門の色絵磁器「傘人物文大壺」(柿右衛門窯)
さらに、1690年代になると、下絵として描かれる藍色の文様の上に、細かい絵柄や地文様の上絵付けを組み合わた製品や、その上にさらに金で飾りつけした豪華なデザインも登場します。これは有田焼の中でも特に古伊万里とよばれる作風で、ヨーロッパ各地の焼き物にも大きな影響を与えました。このように一世紀ほどの間に、赤絵などの様々な技法が誕生し、有田焼は独自の芸術性を高めていったのです。19世紀には、パリ万国博覧会に出品され、大評判になりました。
現在の有田の町には、多くの窯元が点在し、また次の時代の陶工を育てようと、窯業大学校という焼き物を習う専門学校までそろっています。そんな「磁器の町・有田」は、ドイツのマイセン市と1979年に姉妹都市になりました。マイセン市も磁器の町として有名で、マイセン焼という焼き物があります。焼き物がつなぐ国際交流は今もさかんに行われているのです。