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ハイテクジャパン

すばる望遠鏡


「すばる」と私たち

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野辺山の電波望遠鏡(国立天文台)

 「すばる」が誕生するまでには長い道のりがありました。構想から完成までには実に20年以上がかかりました。この長い道のりを完成にまで導いたのが、150億光年先にあるといわれる宇宙の果てを見たい、という科学者たちの熱意でした。


 日本の観測天文学は、長野県の野辺山に設置された電波望遠鏡や、X線天文衛星による観測で多くの成果を挙げてきました。ところが、日本で最大の光学望遠鏡は長らく、1960年に完成した国立天文台・岡山天体物理観測所の口径1.88メートルの反射望遠鏡でした。


 建設当時は世界で第5位の大きさを誇った岡山の望遠鏡も、各国で次々に大型望遠鏡が作られるようになり、「新しい大型望遠鏡を作ろう」という天文学者たちの声で国内外の観測地が検討され始めました。


 設置場所が決まり、予算請求によって大型望遠鏡計画がスタートしたのは1991年。計画が始まって愛称を一般公募したところ、全国から3500ものアイディアが寄せられ、「すばる」という名が選ばれました。


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プレアデス星団(すばる)(国立天文台)

 すばるは、おうし座にある散開星団の名で、西洋ではプレアデス星団と呼ばれています。6〜7個の明るい星が集まった姿は古くから親しまれ、平安時代のエッセイ集枕草子にも「星はすばる」とうたわれています。暗い星まで含めると100個以上の星が集まった5000万年ほど前に誕生した若い星団です。


 しかし、愛称も決まって計画が本格化した頃、不況に向かう日本では「大型望遠鏡なんて何の役に立つのか」とすぐに目に見える利益をもたらすわけではない基礎科学のビッグプロジェクトへの風当たりが強くなりました。当時、国立天文台の台長だった小平桂一さんは、「すばる」建設プロジェクトを推し進めるため日本とハワイの間を何度となく行き来しました。将来の天文学の発展に役立ちたい、という一途な思いからでした。


 「すばる」を建設するのには、総額400億円がかかりました。この額は小さくありませんが、「すばる」の観測成果は、宇宙の歴史の始まりや地球のような別の星の存在など、地球を取り巻く広大な宇宙のなぞの解明に役立ちます。日本人研究者だけでなく、多くの海外の研究グループにも利用されており、「すばる」は私たちを胸躍る冒険に連れて行ってくれる人類共通の宝物なのです。