日本に古くから伝わる演劇に「狂言(きょうげん)」があります。明るくユーモアのあるキャラクターが登場して、とぼけた会話やおかしな動きをして、観客を笑わせる「喜劇」の分野です。何百年も変わらない演技の仕方が伝わっている狂言は、世界的にも「笑いの芸術」と評価されています。こうした優れた文化遺産を大切に守り、次の時代に引き継いでいこうと、鑑賞の仕方を学ぶ子どもたちが増えています。なかには、プロの狂言師に習って本格的な舞台に立つ子どもたちもいます。
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東京都豊島区主催の「民俗芸能inとしま」で、子どもたちが挑戦した物語「口真似(くちまね)」の場面(撮影協力 としま未来文化財団)
600年の伝統を伝える

狂言が演じられる本式の「能舞台」は、屋内に建てられるようになった現代でも四つの柱の上に屋根が付いているのが特徴。舞台奥の壁部分「鏡板(かがみいた)」に古い松の木が描かれているだけで、舞台装置や小道具はほとんど使わない(提供 セルリアンタワー能楽堂)
狂言は、日本の伝統芸能として最もよく知られている「歌舞伎(かぶき)」よりも古く、約600年前に生まれました。その頃あった古い芸能が進化して、狂言と「能」という二つの演劇が生まれたと言われています。狂言が、登場人物同士の対話によって物語を表現するのに対して、能は面(おもて)を顔にかぶった役者の舞(まい:踊り)と音楽を中心に物語を表現します。二つの演劇は、今でも同じ舞台で演じられることが多く、一つの文化として「無形文化遺産」に指定されています。
世界的にも「喜劇」だけで一つの演劇の分野を作っている例は珍しく、狂言は「笑いの芸術」とも言われていますが、堅苦しく考えなくても大丈夫です。演目の中には、ごく普通の生活の中で起きる人々の失敗をユーモアでくるんだお話も多く、今の時代に暮らす人でも自然に理解できる「笑い」や「おかしさ」を感じることができます。動物や神様が登場する演目であれば、昔話の絵本のような空想の世界を楽しむことができるでしょう。

狂言の舞台では、狂言師の演技力が面白さの決め手となる。物語「附子(ぶす)」で、扇子を使って水あめを食べる演技を見せているのは、約400年も続く狂言師の家を継ぐ茂山千五郎さん(撮影協力 茨木市文化振興財団)
例えば、有名な「附子(ぶす)」という物語があります。主人から桶(おけ)を預けられ「『ぶす』という猛毒が入っているから大切に番をしろ」と命じられた家来2人が、桶の中身が甘い水あめと知って食べてしまいます。残らず食べてしまい、困った2人は、わざと主人が大事にしている宝物を壊し、怒る主人に「死んでお詫びしようと『ぶす』を食べた」と言い訳するというストーリーです。美味しいおやつを食べて満足そうな家来の様子を見ていると、観客は思わず「まったく、しょうがいないなー」と、主人に代わって許してあげたい気持ちになります。