生の魚とすし飯を一緒に握り固めた握りずし。すしは日本食の代名詞のように語られるが、実は東南アジアの稲作民が作り出だした魚の発酵食品がルーツと言われている。塩に漬けた魚を米飯などのデンプン質に漬け込んだ「漬け物」で、今でもラオスやタイ、カンボジアなどに行けば味わうことができる。それが中国に渡り、一説には、中国から稲作とともに日本にやってきたという。
その頃のすしは、滋賀県のフナずしのような食べ物であったとされる。フナずしの原料は、フナと米飯と塩。米飯と塩でフナを発酵させる。酢を使わずに酸味(乳酸)を出すため、相当の日数(現代のつくり方であれば、早くて10カ月、長ければ2年以上)をかけて発酵させ、発酵して溶けた米飯は捨ててフナだけを食するものだ。このなんとも奇妙な食べ物が「すしのルーツ」であり、この形態のすしをほんなれと呼ぶ。「なれ」には発酵・熟成の意味があり、当時のすしには保存食としての性格があった。
ほんなれの時代は、室町時代(14〜16世紀)まで続く。それまで、すしは公家が食べる高級料理だったが、この時代を境に、武家や有力な町民にまで食べられるようになる。彼らは、米飯を捨てるのはもったいない、米飯と魚を一緒に食べたいと考えた。こうして、ほんなれでは捨てていた米飯も食べる「なまなれ」が登場する。だが、ほんなれと同じつくり方では、ご飯の粒が溶けて食べられない。そのため、発酵期間は短くなっていったが、すしからは保存食としての性格が失われていったのである。