本物の江戸前ずしとは

 江戸前ずしが確立したすし種の加工法の例は、枚挙にいとまがない。握るのは瞬間でも、すし種の仕込みには、膨大な時間がかかる。全国に「江戸前ずし」の看板を掲げたすし屋があふれているが、こういう地道な仕事は失われつつある。握りずしにもいろいろある。無論それはそれでいい。しかし基本はあくまでここにある。

「江戸前の握りずし」は、すし飯の団子に刺身をはりつけた「おにぎり」ではない。前述したように、すし種に長年培われた加工技術の精華があり、それがすし飯とひとつになることにより、握りずしでなければ味わえない、一体感のある特別なおいしさを生む。そしてもう一方に、すし飯とすし種の両者を、一瞬に掌で絶妙なバランスですしにする、磨き込まれた職人の技がある。これらの集大成が、すなわち「江戸前の握りずし」という名の様式の正体である。

 一流のすし職人の大前提は、江戸前の握りずしの伝統的加工法の数々をしっかり身につけているということだ。その上で、全国から集まった一級の魚介類に触れ、すし種にするために伝統的加工法の何を使い、何を使わないのかを判断する。

 1924年創業の東京・人形町「寿司」は、伝統的江戸前ずしの王道を往く、東京を代表する名店である。三代目当主・油井隆一氏は、見識と技を併せ持った威風堂堂たるすし職人である。その握りずしは美味であると共に風格を持つ。伝統をいきいきと現代に引き継ぐこのすし屋は、長い時間の堆積がもたらす、特別な光彩に満ちている。

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