握りずしの誕生

 われわれが、すしと聞いてまず頭に浮かぶのは、客の目の前で、職人がすし飯(酢と塩少量を調合した飯)とすし種を合わせ握る、一口大の「握りずし」である。握りずしが生まれたのは19世紀初頭で、この頃は江戸グルメの時代ともいわれ、ウナギの蒲焼き、天ぷら、そばといった、今日につながる東京を代表するさまざまな食文化が誕生した。握りずしは、すし種となる新鮮で良質な魚介類が眼前の江戸湾で豊富にとれることと、早ずしとも呼ばれた、スピーディでスタイリッシュなありようが、「粋」※2という言葉に象徴される江戸っ子気質と絶妙に合致したということが相まって、当時主流となっていた箱ずし(押しずしの一種)をたちまちに凌駕して、江戸中に広まった。なお箱ずしは、大阪、京都など関西方面においては、その後もすし文化の主流であり続けている。

 魚の持ち味を最大限に生かしながら、保存の利く加工を施す。そうしてすし飯と一体感のある、バランスのよい一カン※3の握りずしに仕立てる。おいしく食べられるように、長もちするように、職人たちは創意工夫を重ねた。1910年代頃になって、握りずしはひとつの完成形をみたとされる。それは、塩や酢でしめる、煮る、蒸すといった加工を施したすし種を用いるすしである。江戸・東京を通して創り上げられた、握りずしの様式。これをもって「江戸前(この場合の前は“風”の意味)の握りずし」と称する。

 無論、輸送手段、保存設備の格段に進化した現在、保存という側面の事情は全く異なっている。しかし先達の知恵は偉大で、どんなに質、鮮度のよい魚介でも、生のまますし種とするよりも、伝統的加工技術を用いたほうがはるかに握りずしの完成度を高くさせるものがたくさんある。一流のすし職人は、手間ひまを惜しまず、江戸前の技術を大切にする。その仕事振りの一端をご紹介したい。

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