アニメーション(アニメ)やゲームのマニアを日本語で「おたく」と呼ぶが、今や「OTAKU」は「KARAOKE」などと同じように世界共通語になりつつあるらしい。
その発信源のひとつが、アメリカで出版されている日本アニメの専門誌『OTAKU USA』だ。発行部数は10万部。アニメの最新情報から過去の作品の解説、制作者へのインタビュー、さらには日本のおたく事情まで、日本のマニアも驚くほどの充実した内容なのである。
「日本のアニメは最高!僕にとっては“希望”そのものと言ってもいいくらいなんです」
熱く語るのは同誌編集長のパトリック・マシアスさん(37歳)。何を隠そう、彼自身がアメリカンOTAKUの先駆者ともいえる存在なのだ。
彼はカリフォルニア州・サクラメント生まれ。小学生の頃、登校前に欠かさずテレビで観ていたのが『宇宙戦艦ヤマト』や『科学忍者隊ガッチャマン』などの日本アニメだったという。「アメリカのアニメも放送されていましたが、どれも動物が主人公で、古臭くて僕には退屈だったんです。ところが日本のアニメはSF。とにかく新鮮でロボットなんかも出てくる。子どもは当然、興奮しますよ」
小学校でも日本アニメは大人気だったらしいが、当時のアニメは英語の吹き替え。誰一人としてこれが日本のものとは知らなかったという。そんなある日、パトリックさんは父親に連れられてサンフランシスコの日本人街へ遊びに出かけ、これらが日本製だということを「発見」した。そして「日本はすごい国に違いない」と確信したそうなのである。
中学生になると、彼は日本語教室に通い始めた。学校の勉強はそっちのけでカタカナ、ひらがなを学びながら、日本アニメのオリジナル作品を探し出して観賞する日々。そして英語版はストーリーや設定が大きく改変されていることに気づいた。戦闘シーンが削除されていたり、寿司がチョコレートケーキに変えられていたり。なぜ変えてしまうのか?オリジナル作品で訴えたいメッセージは何だったのか?と、まるで研究者のように彼は、日本アニメにのめりこんでいったらしい。
「そうこうするうちに『AKIRA』などの傑作が次々と輸入されました。日本のアニメはどんどん面白くなっていったんです。ハマりだしたらもう止まらなくなっちゃったんですよね」
結局、高校は中退。彼は映画ライターとなり、その後、日本のマンガの出版代理店に就職。好きなことで生きていく道を選んだのである。
「アメリカのOTAKUたちは、僕もそうですが、保守的なアメリカ文化から脱出したいんです。自由な考え方を教えてくれる日本製のファンタジーに救いを求めているんです」
現在、パトリックさんは『OTAKU USA』の編集長として頻繁に来日している。アニメの聖地と言われる秋葉原も、取材で訪れるが、それより温泉や下町の浅草などが好きなのだとか。「懐かしい感じがするんです。僕は日本の人情や情緒を感じられる“昭和”という時代が好きなのかもしれません。でも日本人も昔のアメリカ映画に“自由”を見出したりするでしょう。お互い異国のものに心惹かれるんですね」
OTAKUは異文化の架け橋。パトリックさんの熱弁を聞くと、日本のアニメをもう一度見直したくなる。