北の地によみがえった伝説を追う

 16世紀後半、ポルトガル人の船が、日本近海の太平洋上の「金銀島」に漂着したという噂が船乗りの間に広まる。黄金島伝説の復活だ。フィリピンのマニラと、メキシコのアカプルコをつなぐマニラ・ガレオン貿易で、黒潮に乗って日本近海を北上するスペインが、金銀島に強い関心を持ったとしても不思議ではない。1611年から13年にかけて、国王の命を背景に商人ヴィスカイノが金銀島を探索したが、失敗する。その後、1643年にオランダ東インド会社のフリース率いるカストリカム号が、金銀島の探索と、タタール人との貿易ルートの開発に乗り出した。
 オランダの航海家、フリースは、蝦夷島(北海道)で金銀が採れるとの情報を得て採掘に可能性を見出し、オランダ東インド会社のバタヴィア総督も、探索に強い意欲を示した。ところが、1644年に明が滅亡し、北海道での黄金探索は中断されてしまった。
 それからおよそ250年後の1898年に、北海道のオホーツク海沿岸の幌別川とその支流で大砂金田が見つかり、5年間で約1875sもの砂金が発掘された。オランダ東インド会社の探索が続いていれば、黄金島ジパング伝説が、再び生まれていたのかもしれない。

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