ジパングは、銀の国だった

 1397年、室町幕府の将軍・足利義満は、京都に金閣寺を建てる。きらびやかな金箔を貼った三層の金閣は、仏教施設であるばかりでなく、黄金の国、日本をイメージ化するための建物でもあった。この金色に輝く豪華な建物で、中国の新しい帝国・明の使節を歓待しようとしたのである。目論見は成功し、義満は明から貿易の許可を得ることができた。しかし、この時代、日本から主に輸出したのは、金を使った蒔絵、屏風、扇などの工芸品や、刀剣、銅、硫黄などだった。
 16世紀中頃、ポルトガル人が日本にやって来た時には、すでに奥州の金は枯渇しており、石見銀山、生野銀山の開発で、日本は世界有数の銀産国になっていた。世界の銀の3分の1を産出したといわれたほどだ。日本列島はプラタレアス(銀)群島と呼ばれ、今度は明から、銀により大量の金を購入していた。ジパングはどこへ行ってしまったのかという疑問が、ポルトガル人などの間に広がったのは当然だった。

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