マルコ・ポーロの情報源

 宋の時代に入った中国に、日本は大量の砂金を輸出し、宋からは銅銭、絹、陶磁器などを輸入した。1124年には、奥州に中尊寺の金色堂が建てられ、中国商人の間に、奥州の黄金の噂がますます広まった。
 モンゴル人とイスラーム商人が活躍した元帝国の時代は、中国がユーラシア規模の貿易に組み込まれた時代。エジプトのアレクサンドリアをはるかにしのぐ国際貿易港になったザイトゥーン(泉州)では、1万人を超えるイスラーム商人が主導権をにぎり、かつてのワクワク伝説が、ジパング伝説として復活した。中国商人による中尊寺金色堂などの噂が、話を大きくしたのだろう。マルコ・ポーロがヨーロッパにもたらした情報は、彼がザイトゥーンでイスラーム商人から得たものと思われる。マルコ・ポーロは、フビライ・ハーンの日本列島への遠征も黄金の獲得が目的であり、嵐によりそれは果たされなかったと述べている。
 ちなみに、8世紀から16世紀までに日本で産出した金は、約255tと推測される。その量は、カリフォルニアのゴールドラッシュ以前に、全世界で掘り出された金5000tの約5%にすぎない。

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