砂金が生んだワクワク伝説

 日本で最初に砂金が発見されたのは、749年。本州北東部の奥州で採れた約38sの黄金が、奈良の都に献上された。752年には高さ15.8mの大仏が完成するが、その時、奥州産の約439sの黄金が鍍金(めっき)に使われた。黄金に輝く大仏は、新羅(朝鮮)の使節団や唐(中国)、インドの仏僧に日本の豊かさを誇示した。
 その後、毎年約22sもの砂金が、奥州から都に送られた。砂金はやがて、当時の先進国だった唐の文明を系統的に取り入れるための遣唐使、留学生、留学僧の派遣という国家プロジェクトを支える。たとえば、804年の遣唐使派遣では、滞在費として大使に約7.5s、副使に約5.6sの砂金が与えられたという記録がある。使節団は約500人もの大人数で構成され、留学生、留学僧の滞在も長期にわたったので、莫大な量の砂金が、唐文明を摂取するためにつぎ込まれたことになる。
 やがて、唐の都で広がった豊かな倭国(日本)の噂は、カンフー(広州)に滞在していたイスラーム商人の耳に入り、情報は西アジアにまで伝えられた。商人は黄金情報に敏感である。当時は、多くのイスラーム商人たちが、ダウという帆船で盛んに中国との貿易を行い、広州には12万人が暮らしていたという。9世紀後半にイスラームの地理学者イブン・フルダーズベは、飼いイヌの鎖や、サルの首輪が黄金でつくられる黄金の国「ワクワク」(倭国を指す)について、中国から伝え聞いた話として書き記している。このワクワク伝説が、黄金の国ジパング伝説のもとになった。

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