神の酒から人の酒へ
日本酒は、精白米を麹の力で溶かしながら、同時に酵母がアルコールを生成するという、世界に類を見ない技術を駆使して造られる醸造酒だ。そして、日本語で「酒」といえば日本酒を意味するほど、生活の中に浸透した伝統的なアルコール飲料である。その起源については不明な点が多いが、最初に日本酒が生まれた背景に、神々への信仰があったことはまちがいない。酒の神は同時に稲作の神であり、収穫の神でもあって、そこから神と酒と民衆が一体となった収穫の神事も数多く伝承されてきた。酒は神と人を結びつけ、やがて人と人を結びつけ、あらゆる神事礼祭、農耕儀礼、冠婚葬祭に欠かせないものとなっていった。
8世紀初頭に書かれた『播磨国風土記』からは、日本酒の特徴である米麹を使用した酒造りが、きわめて古くから行われていたことがうかがえる。また、10世紀初頭の法律書『延喜式』には、宮廷での酒の製造法が記され、この時すでに現在の製造方法の原型が完成していたことがわかる。その後、酒造りは宮廷から庶民の手に移り、16世紀半ばに書かれた僧侶の日記には、それまでの濁り酒でない、今日の姿に近い澄んだ清酒が登場している。
19世紀後半に西洋近代科学が導入されると、経験と勘に頼っていた酒造りに、科学的・微生物学的なメスが入れられて、製造技術の進歩はさらに加速した。その一方で、外国人技術者は一様に日本酒の製造法の巧妙さに驚き、絶賛した。中でも、酒の殺菌方法が、細菌学者のパスツール(1822−1895年)が開発した低温殺菌法と同じやり方であり、しかもパスツールに300年以上も先駆けて行われていたことは、驚嘆をもって受け入れられた。以後も酒の科学はどんどん解明されて、醸造技術は向上してきたのである。