古都・奈良は、京都と並ぶ日本の代表的な観光地だ。
およそ1300年前、奈良盆地の北に、都が築かれた。平城京と呼ばれた都は、中国の都・長安をモデルに、碁盤の目状に整然とした町造りが行われた。都の東側には、国家や大貴族が、多くの寺院・神社を建立した。“奈良の大仏さん”で親しまれている東大寺、五重塔が美しい興福寺、原生林の中に静かにたたずむ春日大社、日本最古の瓦が残る元興寺などの社寺は、いずれも1998年に世界遺産に登録されている。
都はわずか80年余りで京都へ移ったが、都の東側には多くの社寺と、「奈良町」と呼ばれる古い町並みが残った。特に東大寺や興福寺周辺には、経典を写すために必要な墨や筆、仏像を造る職人など、社寺の仕事に携わる人びとが集まり、奈良町を形成した。その後、繁栄と衰退を繰り返したものの、家業を受け継ぐ人びとの暮らしが、今も続いている。
京都から電車に揺られること30分。近鉄奈良駅を出て、まずは奈良町へと向かった。南の方へ歩いて15分ほど。興福寺の五重塔を背に猿沢池のほとりから奈良町へと入る。
1時間もあれば回れるほどの小さな町だ。かつての商家は、間口が狭く、奥行きが長い。狭い地域に多くの店が集まったため、また間口の広さに対して税金がかけられたために、特徴ある町並みが広がったといわれている。
迷路のように入り組む小道を歩くと、家々の軒先には、赤い布で作られた「身代わり猿」が、いくつもぶら下がっている。降りかかる厄災を身代わりとなって救ってくれるお守りだ。
墨や筆作りには、今でも伝統を受け継ぐ多くの店がある。その中でも、400年以上にわたって墨作りを続けてきた古梅園は、ひときわ目立つ存在だ。
墨は、油を燃やして出る煤を集め、天然の接着剤を混ぜ合わせて成型し、乾燥させて作る。営業部長の井谷輝雄さんに、さまざまな墨が飾られている店内と、墨作りの作業場を案内してもらった。煤と接着剤を混ぜ、手と足で何度も練る人、練られた墨を型入れする人など、職人たちは皆、体じゅう真っ黒だ。
煤だらけになりながらも、根気強く作業をしている人たちを眺めていると、「全身真っ黒になりながらの墨作りはとても大変ですが、出来上がった墨を磨ると、この真っ黒な墨が虹色に輝くんですよ」と、井谷さんは嬉しそうに話してくれた。