本州の中央部に、日本最大の湖・琵琶湖が広がっている。近江八幡は、その東南岸の小さな市だ。

近江八幡の歴史は、戦乱から日本を統一した豊臣秀吉が、甥の秀次をこの地域の領主にした16世紀に始まる。秀次は八幡山に城を築き、その南に格子状の町を造って商人や職人を呼び寄せ、街道や運河を整備したという。

まもなく豊臣氏は滅びたが、京都に近く東西の交通路や琵琶湖の水運を背景に、商業都市として発展を続けた。

この地域から全国へ広がっていった商人は近江商人と呼ばれ、各地で成功を収めた。丸紅や伊藤忠商事、西川産業など、今でも近江商人を創業者とする企業が、繁栄を続けている。

京都から30分ほど電車に乗って、JR近江八幡駅に降り立った。秀次が造った旧市街へはバスで5、6分ほどだ。

中央を南北に走る新町通りに立つと、正面に八幡山がそびえている。道の両側には、近江商人の中でも豪商と呼ばれた大商人たちの邸宅が十数軒並んでいる。

その中の一軒、公開されている旧西川家に入ってみた。蚊帳や布団で財をなした豪商の邸宅と聞いて、贅を凝らした造りかと思ったが、室内はいたって簡素だ。ただ高い天井を支える太い梁や、黒光りする柱は質素倹約をモットーとした、近江商人の実力を感じさせるのに十分だった。

旧西川家を出て八幡山に向かうと、城の内堀と琵琶湖へ通じる運河を兼ねていた八幡堀にさしかかる。両岸は石垣で護られ、その上に古い商家や白壁の土蔵が並んでいる。時代劇やドラマのロケーションにたびたび使われる情景だ。

八幡山のふもとの日牟礼八幡宮は、着飾った親子連れでにぎわっていた。七五三の宮参りだ。七歳、五歳、三歳になると子どもの成長を祝って神社へ詣でる行事なのだが、まるで子どものファッションショーのようだ。

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