「かわいい」の裏事情—2
文●石原壮一郎 写真●河野利彦
今日も日本の大人は、「かわいい」という言葉に、ひじょうにお世話になっています。もし「かわいい」を封印されたら、たちまち途方に暮れてしまうでしょう。
大人の日常生活には、ホメようがないけどホメておいたほうがいいものが、たくさんあります。上司の新しいネクタイしかり、友人の部屋の趣味の悪いカーテンしかり。「かっこいい」とも「センスがいい」とも言えないときには、「かわいい」と表現して、プラスの評価をしていることを示します。同僚や恋人が、何かに驚いて奇声を発してしまったときなども、「かわいい」の出番。「今の声、かわいかったね」と言えば、相手が感じている羞恥心をやわらげてあげることができます。
そうした用途で活用できるのも、「かわいい」に、広い意味や多彩なニュアンスが含まれているから。自分の価値判断は曖昧にしたまま、「あなたに共感します」「あなたに気配りを働かせています」といったメッセージを伝えられます。何事も丸く収めることを最優先する日本の大人にとって、「かわいい」は極めて便利な道具だと言えるでしょう。
言われる側にとってのありがたさも見逃せません。日本では、若い女性が上司などの中年男性に向かって、その外見や動作、あるいは持ち物を「かわいい」と評する場面が、よくあります。考えてみたら失礼な話ですが、言われた当人が怒り出すケースは、まずありません。それは「かわいい」自体には何の意見も込められていなくて、単に前述のようなメッセージを送られているだけだから。おかげで、反論も同意もする必要がないまま、親睦だけが深まった気になれます。
これからも日本の大人は、「かわいい」を駆使しながら、無難な人間関係を築いていくことでしょう。外から見ると、納得できなかったり歯がゆかったりするかもしれません。でもまあ、「かわいい」特徴ということで、温かく見守っていただければ幸いです。