東京都江戸川区の西葛西は、インド人が数多く居住していることから、「インド人街」などと呼ばれている。彼らのほとんどは、IT(情報産業)技術者。日本企業に招かれ、インドのIT企業から3年以内の限定で単身赴任してきた、ソフトウェアのプログラマーたちである。
近年、IT立国として名をはせるインドには、優秀な技術者たちがどんどん育っている。彼らは、アメリカのシリコンバレーをはじめ世界各国で引く手あまただが、2001年には、日本でもインドのIT技術者へのビザ発給が緩和され、来日するインド人技術者の数が少しずつ増えてきた。
その父親的存在になっているのが、ジャグモハン S. チャンドラニさん(54歳)。インド料理店や紅茶専門店を経営しながら、江戸川インド人会会長として彼らの生活を支援している。
「日本とインドの文化の違い? 特にないでしょう。私も自分のことを日本人だと思ってますから」
チャンドラニさんはインド、コルカタ(カルカッタ)生まれ。国立デリー大学で経済学を学んだ後、父親の営む貿易商の仕事を受け継ぎ、26歳で初来日した。それまで日本との貿易は電子部品が主だったが、1972年に日本で紅茶の輸入が自由化され、インド紅茶の取引先を開拓しようとやって来た。
「日本のことはほとんど何も知りませんでした。知ってたのは、ドアが紙でできていること(襖のこと)くらい(笑)。でも、来てみたら治安はいいし、人も親切で、住み心地がとてもよかった。1年間の予定でしたが、結局そのまま滞在することになったんです」
チャンドラニさんはインドから夫人を呼び寄せ、事務所と住居を西葛西に構えた。紅茶事業は成功。そして2001年以降、多くのインド人たちが彼を頼って西葛西に住むようになったのだ。
「彼らが困るのはまず住居です。最初は事務所のビルに20部屋用意したのですが、それでも足りなくなってしまったので、インド人がアパートを借りられるように近所の不動産屋さんを回ってお願いしました。もうひとつの問題は食生活。彼らはベジタリアンなので、肉や魚はもちろん、そのダシも口にすることができない。日本のレストランでは何も食べられないのです」
チャンドラニさんは事務所近くに彼らの「台所」をつくった。インドから材料を取り寄せ、家庭料理を提供する。厨房への立ち入りも自由で、利益を全く考えない一種のボランティアである。
「ところが、近所の日本人たちから“私たちも食べてみたい”と頼まれたんです。それで台所をランチ限定のレストランに変えたんです」
かくしてインド料理店「カルカッタ」をオープン。安くておいしいと地元でたちまち評判となり、今では客の大半が日本人。従業員にも地元の人を採用した。チャンドラニさんは、西葛西のお祭りにも必ず参加してインド料理をふるまう。そして春と秋には区民会館を借りてインドのお祭りを開催し、地元の人びとを招待している。
「日本の小さな子どもの“ナン下さい”という声が本当にうれしいんです。文化の違いを特別なことじゃなくて普通のこととして感じてくれる。人はみなわかりあえる。同じだと思えることが私の喜びなんです」
流暢な日本語で語るチャンドラニさん。西葛西は「インド人街」ではなく日本とインドが溶け合う街なのである。