そのニワトリは“赤丸”という名だった。動くものを見つけると、人であろうとミミズであろうと走り寄ってきて強烈な嘴の一撃を加える。小学生だった私の唯一の天敵で、いつも刀のように腰に差していた竹棒で戦った。
 赤丸は夏祭りで買ったヒヨコが大きくなったものである。ヒヨコを飼えば、やがて毎日のように卵が手に入る計算だった。成長は早く、みるみる大きくなったが、実は雄鶏。卵を食べるというもくろみは、あっけなく消えた。だが、見事な鶏冠、鋭い蹴爪、戦闘的な性質、そして明け方の暗いうちに張り上げる近所迷惑な時を告げる声、赤丸はニワトリの特徴がよく出た雄鶏だった。
 都会では、今でこそニワトリの声は聞かれなくなったが、鶏肉を大量生産できるブロイラー種がアメリカから輸入されるまでは、たいていの家で飼われていた貴重なたんぱく源だった。鶏肉は「かしわ」と呼ばれ、牛肉などより高級品であったし、メスは卵を産んだからである。しかし、日本でニワトリをよく食べるようになったのは、明治(19世紀後半)以降のこと。日本では、食用よりもむしろ愛玩用とされてきた歴史のほうが長いのだ。
 ニワトリはもともと日本にいたものではない。ニワトリの祖先は、インドから東南アジアにかけての森林に分布し、4000年ほど前に家畜化された赤色野鶏という種だとされている。最初は食用のためであろうが、やがては闘鶏用として、あるいは時を告げる鳥として飼われたようだ。それが中国から日本へ渡来したらしい。最近の遺伝学的な研究によれば、フィリピンを経由した種も加わっているという。しかし、いつやってきたのかは、はっきりしていない。もっとも古い記述は、岩穴に隠れた天照大神を誘い出すために、ニワトリを集めて一斉に時を告げさせた、という8世紀初めのものである。しかし、ニワトリが渡来した時期は、紀元前300年頃の貝塚から骨が出土したため、その頃と推定されている。
 日本にやってきたニワトリは、中国文化の影響もあるだろうが、昼夜の境を告げる霊鳥として扱われた。ニワトリの時を告げる声は、一声がとても長く大きいので、現在よりもずっと印象的だったことだろう。1日3回、日の出の前、太陽が昇った頃、そして日没の前に、かなり正確に鳴くことから、時計としての価値が高く、また、長く鳴くものほど大切に扱われたらしい。実際、日本では、暁と日の出の鳴き声を、一日の始まりとしてきたのである。
 古くから日本人の暮らしに欠かせなかったニワトリは、観賞用としてもさまざまな変化をとげた。その源となったのが、9世紀頃に、中国に渡った使節が持ち帰った「小国」である。元来は闘鶏用だったが、小国の特長をもとに、いろいろな品種が作られた。声を楽しむために、15秒も長く鳴き続けられるという性質を高めて「東天紅」、「声良」などの品種が作り出され、尾羽の豊かさからは見て楽しむための「蓑曳」と「尾曳」が生まれ、尾羽が生え替わらないものから「長尾鶏」が作られた。
 17世紀に入ると、やはり中国から「シャモ」、「チャボ」、「烏骨鶏」などが輸入され、日本各地で、見た目にも美しい品種が次々と誕生することになる。現在、天然記念物に指定されている品種も多い。
 我が家で“暴君”ぶりを発揮していた赤丸は、明治以降に渡来した「白色レグホン」だったが、ある年の暮れも押し迫った頃、忽然と姿を消した。いや、食用として正月のご馳走に変わったのである。

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