北海道は、日本の主な島の中で最も北に位置している。1868年の明治維新以後、日本第2の面積をもつ広大な北海道では、農地の開拓や森林資源、水産資源の開発が進められてきた。その拠点となったのが札幌市である。
 原野の小さな集落だった札幌に、大規模で計画的な都市造りが進められ、135年後の今日、北海道の政治・経済・文化の中心として、人口185万を抱える北日本最大の大都市に成長した。
 碁盤の目のように道路が走る整然とした町並みを歩くと、開拓時代の面影を残す西洋風の館を見ることができる。行政の拠点だった「北海道庁旧本庁舎」をはじめ、北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として造られ、後に大時計が据えられた「時計台」、ホテルとして建てられた「豊平館」などなど。これらの建物には、北海道開発の象徴である、北極星をかたどった赤い星印「五稜星」がつけられている。
 発展し続けてきた札幌が、さらに大きく飛躍するきっかけとなったのが、1972年に開催された第11回札幌冬季オリンピック大会である。これを機に、日本で初めてのタイヤで走行する地下鉄が開通。路線の拡大とともに、町も郊外へと発展し、人口も急増したのである。それから30年近くたった2003年、JR札幌駅に隣接して「JRタワー」が建設された。ホテルや映画館、オフィスやファッション店などが入るこのビルは、連日、賑わいを見せ、発展を続ける札幌の新たな拠点となりつつある。
 札幌は、新しいものを取り込んでいく都市だが、市民に「札幌はどんな町?」と尋ねると、「自然が豊かで緑が多い」「便利で住みやすい」という答えが返ってきた。市の中心部には、東西1.4kmにわたって大通公園が延びている。そもそも、防火用の緑地帯として造られた公園だが、晴れた日には、さわやかな風が抜ける市民の憩いの場となっている。
 この大通公園を中心に、毎年2月に繰り広げられる「さっぽろ雪まつり」は、市民はもとより、国内外から多くの人が訪れる大きな祭りだ。300基以上もの雪像が展示され、中には、2000tもの雪を使い、高さが20mを超える巨大な「雪の城」までもが登場する。冬の間、雪で町全体がおおわれてしまう札幌だが、人びとはこれを積極的に生かして、誰もが楽しめる祭りにした。そのたくましさは、開拓者精神の名残なのかもしれない。
 そんな気質は新たな食文化も生み出した。日本人は、中国の麺を「中華そば」として親しんできたが、「ラーメン」という名で呼び始めたのは札幌の中華料理店だといわれる。1950年代には味噌仕立てのスープとちぢれた麺を使った「味噌ラーメン」が考案された。味噌ラーメンは、今や日本全国に広まり、ラーメン店の定番商品となっている。札幌でラーメンといえば、すすきのの繁華街にある「ラーメン横丁」が有名だ。ビルが立ち並ぶ中、ラーメンの専門店が、16店も軒を連ねている。そこで40年以上もラーメンを作り続けている「華龍」の吉川利一さんは、「寒い土地だから、温かいラーメンがウケるんだ。北海道の人間には新しいものを受け入れる度量があるしね」と胸を張った。
 厳しくて長い冬を越えると、春の訪れとともに札幌の町はライラックの花の香りに包まれる。緑の豊かなキャンパスとして知られる北海道大学は、1876年、日本で初めての高度な農業教育を施す札幌農学校として開校した。当時、アメリカから教頭として招かれたウィリアム・スミス・クラーク博士が残した、「少年よ、大志を抱け」という言葉は、北海道のみならず、日本中で知られている名言だ。クラーク博士の像は北海道大学構内のほか、市内南部にある「羊ヶ丘展望台」にもあり、牧草地を背景に右手を大きく伸ばすクラーク博士の像は、開拓時代の志の象徴とされている。
 豊かな自然の中に切り拓かれた、美しい札幌の町では、今も先人たちの心意気と、築きあげた歴史を人びとが受け継いでいるのだ。

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