卵焼きは、鶏卵を溶いてだし汁を混ぜ、醤油や砂糖、塩などで調味し、何度か折り返しながら焼き上げる料理で、日本人が大好きな食べ物だ。現在40歳以上の日本人なら誰でも、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉を覚えているだろう。これは、1960年代に、子どもが好きなものの代名詞として流行した言葉だ。当時圧倒的に強かったプロ野球チーム「巨人」、スポーツ界の英雄的存在だった大相撲の横綱「大鵬」と並び、卵焼きは、子どもにとってそれだけ魅力的な食べ物だった。食の好みが多様化した現代でも、家庭で簡単に作れる卵焼きは、年齢を問わず、嫌いな人はいないといっていい程親しまれている。しかし、不思議なことに、いつ頃から作られているか、はっきりしていない。
 鶏卵が日本で食べられるようになったのは、江戸時代からだ。江戸時代中期(18世紀末)には、「卵百珍」の異名がある『万宝料理秘密箱』という卵料理の集大成が出版されたが、この中にも、現在の卵焼きにあたる料理は見当たらない。また、1806年の料理書『料理簡便集』では、「さいの目(1cm角ほどの大きさ)に切った魚や海老と、刻みネギを卵に加えて焼く」と、卵焼きの原型のような料理が紹介されているが、これも今の形とは少し違っている。
 江戸料理に詳しい料理研究家、福田浩さんによると、「今あるような卵焼きができたのは、幕末から明治にかけて(19世紀後半)ではないでしょうか」ということだ。明治時代(1868年〜)には、卵焼きは、料理屋のお土産の折り箱にかまぼこやきんとん(サツマイモを煮てつぶし、砂糖と合わせたもの)と共に、必ず入るようになった。鶏卵は当時、かなりの贅沢品だったが、その後、少しずつ庶民の生活に定着していった。
おもしろいことに、関西と関東では、卵焼きの味つけが異なっている。関西は、だし汁と塩味だけで、卵の色をそのまま残して仕上げる。対する関東は、醤油や砂糖を加えるので、色は濃くなり、焦げ目もつきやすい。関西の人が、関東の卵焼きを食べて「甘くて驚いた」と言うのを、実際に聞いたこともある。
 日本では、第2次世界大戦後の数十年間、鶏卵はほとんど値上がりしておらず、「物価の優等生」といわれ、最も入手しやすい食材である。今回は、江戸料理の流れを汲む老舗で料理を修業した山崎美香さんに、伝統的な関東風の卵焼きを作ってもらった。ふっくらと焼き上げるコツは、火加減。砂糖が多めに入っているので焦げやすいが、火を弱めず手早く焼いていく。丸いフライパンを使う場合は、オムレツを作る時と同じ要領で、フライパンの柄を叩き、卵を回転させながら形を整えていくといいそうだ。皆さんも、ぜひ、挑戦してみてほしい。

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