草鞋は、藁で編んだ台の爪先から出た長い鼻緒を、台の左右と踵の部分に付けた輪に通し、さらに足首に巻いて固定する。軽くて活動的な上、安上がりだったため、下級の兵士や土木作業、庶民の旅行に用いられた。
草鞋がさらに改良されたのが草履だ。今日、世界中に広まったビーチサンダルの原型といえる。藁を楕円に編んだ台と、やはり藁で編んだ鼻緒でできていて、足の親指と人差し指の間に鼻緒を引っ掛けて履く。中世には、足の前半分しかない「足半」が武士によって作られ、戦場で用いられたという。その後、田畑での作業など一般に普及していった。江戸時代(17世紀〜19世紀半ば)になると、都市部に草履職人が現れ、草履の種類は一気に広がった。中でも、竹の皮で編んだ草履の裏に獣皮を張り、かかとに鉄片を打った「雪駄」は代表的な草履のひとつで、他にも造形に凝った、贅沢なものが数多く作られるようになった。
下駄は、2枚の歯がついた板に鼻緒をつけ、草履と同様、足の指に掛けて履く。10世紀頃の絵巻などには、下駄を履いた姿が見られるほど普及していた。18世紀の初め頃、工具の発達とともに大量に作られるようになり、江戸の町では下駄が流行した。どんどん華美になっていくので、庶民の贅沢を罰した江戸幕府から、漆塗りの下駄などは禁令が出たほどだった。その後も、靴が主流になるまで庶民の履き物として愛用されたが、1955年の生産量9300万足を頂点に減り続けている。
足袋は洋装でいえば靴下のようなもので、草履や草鞋などと併用される。これを履けば冬は暖かいし、紐ずれを防ぐこともできた。鼻緒を引っ掛けられるよう、親指と人差し指のところが割れている日本独特の履き物だ。さらにゴム底を貼り付けたのが地下足袋で、じかに地面の上を歩ける。1922年、足袋製造業者(後のタイヤメーカー、ブリヂストンの前身)だった石橋徳次郎・正二郎兄弟が発明し、この翌年に起こった関東大震災後の復興作業では、大いに活躍した。滑りにくく足場の悪い所でも動きやすいので、現在でも建設現場などで使われている。
現代の日本では生活の洋風化で、靴はすっかり日本人の中に定着している。しかしその中でも、「靴を脱いであがる」という日本の生活習慣から生まれた学校の上履きや、日本人の健康志向から生まれた健康関連の履き物など、日本独特のものが生まれ、数多く開発されている。さらに最近になって、素足に履く伝統的な下駄や草履が、血行が良くなり健康にいいと、見直されている。