「この日のために一年を過ごしているようなものです。終わったときは寂しいですが、翌日から来年のことを考えてしまうほど、祭り一色の日々です」と話すのは、生まれも育ちも浅草の大沢肇さん。地元の祭り好きが集まって三社祭の運営を担っている「三網」の若手のリーダーだ。伝統ある祭りの形を変えないよう伝えていきたいという。
浅草に人が集まるのは、浅草寺の参詣だけが目的ではない。買い物や見せ物、芝居を楽しみに訪れる人も多い。浅草寺の西側に広がる「奥山」といわれる地域は、昔からそういった人々で賑わってきた。奥山には、店先にテーブルと椅子が出された大衆食堂、仏像となぜか酒屋と米屋の前掛けをいっしょに並べている道具商、こぢんまりとした敷地に乗り物でいっぱいの遊園地の花やしきなど、浅草らしいお店や施設がずらりと並ぶ。その隣「六区」は明治時代(1868〜1912)に発展した興行街で、映画館や演芸場といった娯楽施設が集まる。ちょうどこの日は、チンドン屋がクラリネットを吹き、太鼓を叩いて練り歩き、一層賑やかだった。チンドン屋はお店の開店や特売を知らせてまわる小さな広告業者。そんな思わぬものに出くわすことも多い。
六区からさらに西に向かうとかっぱ橋道具街に出る。南側入り口のビルの上にのっているコック姿の大きな人形が町の目印だ。南北約1kmの道路の両側に食器から調理器具、店舗用家具の問屋が立ち並んでいる。フライパンや鍋、陶磁器や漆器に竹製品、さらに電飾看板からのれんまで、所狭しと店に並び、訪れる人の目を飽きさせない。中でも塩化ビニールでつくられた食品サンプルは本物そっくり。外国人観光客にもお土産として人気が高く、現在の売れ筋は「すし」だそうだ。
浅草はまるで、誰かが仕掛けたビックリ箱のような町だ。何が飛び出すかわからない不思議な魅力に満ちている。そんな雰囲気を、地元の人も遠方からきた人もしっかりと楽しんでいるようだ。
町中の賑わいに疲れたら、少し足を延ばして待乳山聖天に向かってみるのもよい。インドの神様、ガネーシャ(聖天)を祭り、子孫繁栄と商売繁盛のご利益があるといわれる寺院だ。平らな低地の浅草にあって、ここだけは小高い丘になっており、本堂の屋根は銀杏の木々に覆い尽くされ、辺りは静寂に包まれている。ここから隅田川の風景を眺めて、一服するのもよいだろう。