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新日本旅案内
彦根 お城の下に広がる江戸時代の計画都市
文●古井麻子 写真●大森裕之
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彦根城の北東に位置する玄宮園(げんきゅうえん)。この庭園は1677年、城主が客をもてなすため、中国唐時代の玄宗皇帝の離宮にならって造った。
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日本のほぼ中央に、日本最大の湖、琵琶湖がある。彦根市はこの琵琶湖の東岸にある地方都市だ。対岸に連なる山を越えればすぐ京都という位置にあり、湖上交通の要衝としてはもちろん、17世紀以来、政治、軍事の拠点として栄えてきた。
その中心となったのが、彦根城。1603年に着工し、20年の歳月をかけて建築された名城である。山頂にそびえる天守閣は当時も今も町のシンボルだ。高い建物がなかった江戸時代には四方一円からその美しい姿を望むことができたであろう。 かつては身分の高い者にしか入城を許さなかった彦根城も、今はすべての人に扉を開いている。城の玄関口である表門をくぐると、まず長い長い石段に出迎えられる。足を踏み出して、その歩きにくさに驚いた。奥行きが段によって違ううえ、一段一段、高さも違う。「敵が攻めてきても一気に上がれないように、わざと歩きにくく造ってあるんですよ」。ため息をつきながら上る年配の観光客にガイドが声をかけた。城が防衛を第一の目的に造られているのが実感できる。 苦労してたどり着いた天守閣は美しい。黒い瓦に白い壁、細部に施された金の装飾が見事だ。簡素だが力強い美しさで、見る者を惹きつける。ここから望む街並みもまた印象的だ。城を中心に家々の屋根が広がっていく。 このような、城を中心に開けた町を城下町という。日本全国、城があれば城下町がある。彦根もしかり。まずはその造りを見ていくことにしよう。 城の核となるのは天守閣。その周りを外敵の侵入を阻むための堀が三重に取り囲んでいる。内堀と中堀の間に位置する内曲輪に住んでいたのは藩主一族や家老などの重臣たち。ここは行政の中心であり、身分の高い人々の高級住宅地だった。一方、中堀と外堀の間にあたる内町には武士たちの、外堀のさらに外にあたる外町には足軽と呼ばれる歩兵たちの屋敷があり、敵の侵入から城と城下町を守る役割を担っていた。また内町と外町は庶民の生活の場となっており、町民たちの家もここに並んでいた。 このように城下町は町全体が砦としての機能をもっていた、いわば戦に備えた計画都市である。その性格が端的に表れているのが、道路の造り。彦根の町を歩いてみるとそれがよくわかる。一見、整然としているが、ギザギザと曲がっていたり、四つ角が微妙に食い違っていたり、突き当たりが多かったりして、簡単には前へ進めない。おまけに道幅も狭く、見通しが利かない。これでは敵軍が攻め入っても右往左往する羽目になるだろう。細い小道が複雑に入り組んでいて、慣れない旅行者は迷子になってしまいそうだ。 もうひとつ、城下町の特徴といえば、同じ職種の人が同じ区画に集まって住んでいること。「大工町」、「職人町」、「鍛冶屋町」といった町名は全国共通で、どこの城下町にもあった。彦根も同様で、ほかに、「油屋町」、染物を扱う「紺屋町」といった旧町名が残っている。 |
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