日本各地の城には、毎年、多くの観光客や歴史好きが訪れる。数百年も前に建てられた城のどこに、日本人は惹きつけられるのだろう? 歴史のなかで、城がはたしてきた役割に触れながら、城の魅力を解き明かす。
文●小和田哲男(静岡大学教授)
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日本人と城
日本各地の城には、毎年、多くの観光客や歴史好きが訪れる。数百年も前に建てられた城のどこに、日本人は惹きつけられるのだろう? 歴史のなかで、城がはたしてきた役割に触れながら、城の魅力を解き明かす。
文●小和田哲男(静岡大学教授) |
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皇居の一角に残る江戸城天守台。天守閣は1657年に焼失し、
現在にいたるまで再建されていない(写真=伊藤千晴) |
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城の歴史とその魅力
城は、人類が外敵から身を守るために構築したもので、長い歴史をもっている。日本では、有史以前の人々が、集落を環濠で守ったのも立派な城だし、古代律令国家(7世紀後半〜10世紀)が東北地方侵攻の拠点とした多賀城、中国の唐や朝鮮の新羅からの防衛のために九州に築いた水城や怡土城なども、もちろん城である。
しかし、日本の城は、中世、武士の時代を迎えてさらにその役割を増し、規模も大きくなり、数もふえた。特に、戦国時代(15世紀半ば〜16世紀後半)には、それぞれの戦国大名が、領国支配の中心として、また、軍事的な拠点として、攻め落とされにくい城を築くようになり、織田信長(1534〜1582)の安土城、豊臣秀吉(1536〜1598)の大坂城といった豪壮な城が登場し、それが、江戸時代(1603〜1867)の城へとつながっていった。 織田信長の時代と豊臣秀吉の時代を織豊時代(1568〜1603)と呼ぶが、文化史の分類では安土・桃山時代という。信長の居城安土城と、秀吉のもう一つの居城伏見桃山城の、絢爛豪華なそれらの城が城郭建築の代表とされるからである。 織豊時代の城、江戸時代の城にはたいてい、天守閣が築かれた。これは、本来、戦いとなった場合の展望台・司令塔の役目をするものとして築かれたが、次第に、城主の威厳を示すもの、すなわち、象徴としての比重の方が高くなり、外観だけでなく、内装も凝った造りになっていった。 白漆喰塗りごめの外観は、本来、防火のために工夫されたものだった。しかし、壁の白と屋根瓦や、黒板塀などの対比がかもし出す美しさも魅力となっている。 塀にあけられた丸や三角や四角の狭間は、その穴から鉄砲を撃ちかけたりした実戦的なものであったが、それすらも一種の造形美を作り出しているのである。 |
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