われわれがよく見かけるネコは、長い年月をかけて人間が飼い馴らしたもので、イエネコと呼ばれている。どこにでもいる動物だから、道で出会っても、ほとんど記憶には残らない。しっぽが長かろうが短かろうが、そこにいて当たり前、いなくても気にならないくらいの存在だ。イエネコは、それほどありふれた動物である。実際、日本でも、東京は銀座の繁華街から、沖縄の山原の原生林、海鳥の繁殖地として知られる北海道の天売島などの孤島まで、イエネコが棲んでいる。
 これらのネコは、飼い主のない、いわゆる“野良ネコ”であっても、ヤマネコとはちがう。日本には、アムールヤマネコとイリオモテヤマネコの2種の野生ネコがいるが、イエネコとはまったく別の種である。そもそもイエネコは、日本にいた動物ではなく、はるか昔に中国から人間の手によって持ち込まれたものなのである。
 もっとも古いイエネコの記録は、紀元前1600年頃の古代エジプトの墓の中に描かれていた絵である。絵になっているのだから、少なくともそれ以前に古代エジプト人が野生のリビアネコを飼い馴らしたものとされている。
 そのイエネコが日本へやってきたのは、538年(552年とも)、仏教伝来の際に、経典をネズミの害から守るために連れてこられたというのが定説だ。遺伝学的な研究からも、インドから中国を経て渡来したと推定されている。イエネコの確実な記録は、宇多天皇(867〜931年)の日記に登場する黒ネコが最古のものである。884年に中国からきた、と記述されている。
 日本最初のネコの名は、一条天皇(980〜1011年)が付けた。ネコに官位を授けて、「命婦のおとど」(後宮の女官の長を意味する)という貴婦人のような名前を付け、ネコの飼育係に女官を任命した。当時、宮中に飼われていたネコは、赤い首輪と白い札を付け、紐にじゃれついて遊んでいたそうである。
 12世紀になると絵画にネコが登場する。鳥羽僧正(1053〜1140年)の作と伝えられる絵巻物『鳥獣戯画』がそれで、尾の長いトラ毛のネコ3匹が描かれている。カエルやキツネやウサギなどとともに描かれており、ネコが一般的な動物になったことを示している。
 イエネコがどこにでもいる世の中になると、ネコは、外国からの珍貴動物としては渡来しなくなった。江戸時代(1603〜1867年)になってからは鎖国政策もあって、ほとんど国内のネコだけで繁殖された。近親交配のせいなのか突然変異が起こり、1700年前後に尾の短いネコが増えることに。やがて、尾の短いのが日本ネコで、尾の長いのが外国産のネコ、という区別が生まれた。19世紀はじめの随筆『愚雑爼』には、「京都では尾の長い唐猫を飼うものが多く、浪華(大阪)では尾の短い和種を飼うものが多い」と述べられている。
 このような、尾が切り株状の日本ネコは、ごく最近まで一つの品種として存在し続けてきた。だが第2次世界大戦後、海外からシャムネコやアメリカン・ショートヘアなどが続々と持ち込まれて雑種化が起こり、遺伝的に劣性な尾の短いネコは急激に姿を消した。そんな中、一人のアメリカ人女性が日本ネコ数匹を故国へ持ち帰り、繁殖させ、品種として登録したのである。その名も“Japanese Bobtail”。日本生まれのアメリカ育ちというわけだが、おかげで日本ネコは消滅を免れた。ネコの世界でも国際交流が盛んになったということだろうか。

close